そして、すぐに、日本で例えば、道に迷っている目の不自由な人に「どうしました?」と話しかける時、僕には無意識の優越感がなかったのかと考えました。
お年寄りに話しかける時、ハンディキャップを持った人に話しかける時、対等な関係ではなく、「あなたを守りますよ」という無意識に見下す意識がなかったのかと。
たぶん、あったんじゃないかと思いました。
「かわいそう」と思った段階で、対等な関係は結べない
さやかさん。僕の言いたいことがわかるでしょうか?
「私にはそんな優越感なんてない」と思っていますか? 確かに、意識的な優越感はないと思います。
でも、「かわいそう。何かしてあげたい」と思うことは、とても気をつけないと相手を無意識に見下すことになるのです。
おそらく高校時代のA子さんは、ロンドンの時の僕のように、「見下されていると感じるけれど、話しかけてくれてうれしい」という状態だったんじゃないかと思います。
そして、高校を卒業し、大学を経験し、社会人になって、対等に話してくれる人とA子さんは出会ったのでしょう。自分のことを不幸な家庭の出身で「かわいそう」だと思わない、アドバイスをしないといけないと思わない、身構えない人と知り合ったのでしょう。
だから、もうさやかさんと話したくないと感じたのだと思います。それを二人で夕食を食べながら確認したのです。
相手を「かわいそう」と思った段階で、対等な人間関係は結べないと思います。
「あなたのためにしている」と思った場合も同じです。
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