そして、「相談があるんだけど」と言われた場合だけ、相談に乗ります。相手が話す気持ちになってないのに、「話してみて」「相談に乗るよ」「何でも言って」と言うのは、相手を苦しめることになると思っているのです。
だって、話すということは、自分の苦しみをもう一度確認することです。やっかいな状況と向き合うことです。それは、ある程度の精神的強さがないとできません。その精神的準備が整ってないのに、「話して」と促されて話すのは、とてもつらいことです。ですから、僕は相手が話したくないようなら、深追いしません。
ま、簡単な言葉で言えば、「余計なお世話」はやめようと思っているのです。そして、アドバイスをしても、それを最終的に実行するかどうかは、本人の問題だと思っているのです。
「あなたのためと思って」は過剰なお節介
僕は、さやかさんの文章の「いつもなるべく話を聞いて解決できるよう言葉をかけてきたつもり」や「時に厳しいことも言ったかもしれないけど、A子のためと思って言ってきた」という表現が気になります。
「なるべく話を聞いて」あげることは素敵なことですが、「解決できるよう」にというのは、本人の問題です。どんな解決策を選ぶか、何をもって解決とするか、そもそも解決したいのか、話を聞いてほしいだけなのかは、A子さん本人が決めることです。
また、「厳しいことも言う」のはアリですが、「A子のためと思って」という表現は、僕には少し過剰なお節介を感じます。無理解な親は、いつも「あなたのためと思って」と言いますからね。
「不幸な人がいたら、話を聞いてあげて、一緒に解決策を考える」ということを、さやかさんはあたり前だと思っていますか?
でも、それは、不幸な人に「接する人」側から見たあたり前で、不幸な人側のあたり前ではない可能性が高いのです。「不幸な人は、自分を不幸な人だと思われることが嫌で、一緒に解決策を考えてほしいなんて求めてない」なんて場合もありますからね。
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