大久保は内心、焦ったに違いない。なにしろ、財政上、戦争は困難だということ以前に、台湾にいる日本兵が危機に陥っていた。マラリアの蔓延でバタバタと死亡していたのである。このまま帰国すれば、台湾出兵を非難されて、国内がバラバラのなかで、清を迎え撃つことになる。
大久保は完全に追い詰められるかたちになったが、「交渉をとにかく続ける」ことに力を注ぐ。3回目の会談のあとでは、質問状を渡している。4回目の会談を開かざるをえなくするためだ。そうして時間を稼ぎながら、大久保は突破口がないかを必死に考えた。
どんな苦境に陥っても、ひっくり返すための方法が、必ず何かあるはず。それは、貧しい下流武士に生まれた大久保がはい上がり、幕府や朝廷と対峙するなかで得た実感でもあった。
大胆な行動から打開策が見つかる
4日目の会談で、大久保が動く。らちがあかないために会談の終盤で「帰国する」と言い切ったのだ。さらに、随行員の1人である井上毅に、最後通牒に近い文章をしたためさせている。
賭けではあるが、大久保は密かに1つの疑念を持っていた。それは清も実は戦争をする気はそこまでないのではないか、ということだ。三条実美にこんな手紙を送っている。
「現地の様子をよく観察すると、あちらから急に兵を起こしてくることはありえない」
それでも3回目までは、交渉を決裂させないように注意していたが、いっそのこと、こちらも戦争をやる気であるという姿勢を見せて、様子を見てみようと考えたのだ。
すると、意外なところから反応が起こる。それはイギリスだ。アヘン戦争で勝利したイギリスは、清を監督する立場にあった。
もし、ここで日本と清が戦えば、清も少なからず損害をこうむってしまうのではないか。イギリス公使のウェードはそんなふうに考えて、なんとか両国の間を取り持とうとした。大久保はここが突破口になると考えた。
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