専制権力で繁栄と力と栄光へ導かれたロシア国民 19世紀からロシアはまったく変わっていない

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これがいわゆる「デカブリストの乱」と呼ばれる事件である。反乱分子が貴族身分であったという点に注目してもらいたい。フランス革命や後のロシア革命とは大きく異なる点である。反乱はすぐに鎮圧されてしまったのであるが、青年貴族が要求した政治改革は、ロシアの課題としてずっとくすぶり続けることになる。

青年貴族たちが求めた政治改革とは、基本的には憲法の制定による立憲君主制への体制変化を求めるものであった。ロシアの政治体制は専制君主制であり、ツァーリ(皇帝)の権力は無制約であるというのが特徴である。

ツァーリは絶対的権力を有するのである。一方、立憲君主制とは、王権や皇帝権力を法によって制限しようという考え方である。つまり、デカブリストと呼ばれた青年貴族たちは、ニコライ皇帝誕生のその時に皇帝権力を制限するよう迫ったのである。まさに、リベラリズム、デモクラシーといった政治思想をロシアにおいて実現しようという動きである。

ニコライはこうした反政府的な政治活動を厳しく弾圧し、自らの統治の基盤を固めるための「改革」に乗り出すのである。

ニコライにとっての国家体制は皇帝専制か、フランスの革命政府のような共和制の二者択一であり、立憲君主制のような政治体制は考慮されなかったとされる。ニコライは、社会や政治の改革の必要性は認識していたが、あくまでも専制を守りながら、行政主導の上からの改革としてなされる必要があったのである。

そのため、行政機構を充実させる必要があり、官僚制が重視された。秘密警察である官房第3部を含む、皇帝直属の官房組織を強化したのもその1つである。

ニコライ1世によるロシア国家の「建て直し」は、ある意味でロシアという国の本質を体現したものとなっている。自由主義的な動きに対抗するために、専制、国家主義、官僚制、ロシア・ナショナリズム、歴史重視、正教会といった要素を推し進めていったのである。

これらの要素は、現在のロシアにもあてはまる点が多くある。つまり、現代のロシア、更に言えばロシアという国そのものを考える上でも、ニコライ1世の時代は1つの原型となるものだと考えられる。

ロシア的なものという固有の価値を重視

ニコライ1世は、ヨーロッパから何かを学ぶというよりも、ロシア的なものという固有の価値を非常に重視した。ニコライ1世のロシアのイデオロギーは、専制、正教会、国民性(ナロードノスチ)であった。これを推し進めたのが、文部大臣に任命されたウヴァーロフである。ウヴァーロフはこれらの価値を「3つの聖なる原則」として、国民教育を進めた。

専制とは、皇帝権力の絶対性を擁護し、皇帝権力はなにものにも制約されないという考え方である。

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