例えば、ポーランドでは、王がいるにもかかわらず、貴族たちの力が強く、王権は制限されていたため、事実上の共和制だと見なされ、「共和国(ジェチ・ポスポリータ)」と呼ばれた。ロシアにも貴族はいたが、貴族階級の力を制限し、それに対して皇帝権力を強大化していった歴史があったのである。
ここには、皇帝の善政を信じる人民の皇帝への信望が大きくかかわっている。ロシアでは、政治の悪弊が行われるのは、ツァーリが悪いからではなく、ツァーリの善政を妨げる貴族階級の取り巻きが悪いからであると考えられたからだ。人々はツァーリの善意を信じ、ツァーリによる専制を望んだのである。18-19世紀の歴史家たちは、専制こそがロシア国家に自然な体制であると考えていた。
土着主義、民族教会を基本とした東方正教会
正教会というのは、もちろんビザンツ帝国からウラジーミル聖公が10世紀末に受容した東方正教会の儀式と教義であり、ローマ・カトリックとの対比でいわれている。正教会の世界ではカトリックにおけるローマ教皇のような普遍的な権威に対する忠誠はなく、あくまでもロシアの正教会のトップである「モスクワおよび全ルーシの総主教」がトップである。
東方正教会は、カトリックの普遍主義とはことなり土着主義であり、民族教会を基本としている。民族教会の自治独立権が尊重され、民族語での礼拝が認められていた。コンスタンティノープルの総主教が序列1位であるとはいえ、他にもシリアのアンチオキア、エジプトのアレクサンドリア、エルサレムにも総主教がおり、ロシアの総主教はその次に認められた。
ロシアの正教徒は他の総主教ではなく、あくまでもロシアの総主教に従うのである。このように、正教会はそもそも民族主義と結びつきやすい土台を持っていると言える。
国民性といわれているのは、正教会と専制への全面的献身こそがロシア民族の国民性であるという考えである。随分と都合が良い主張に思えるが、この国民性(ナロードノスチ)の議論は、ロシア思想の根幹ともいえるもので、国民性の定義については議論がありながらも、スラヴ主義にも引き継がれ、19世紀ロシア思想における主要な概念であり続けた。
ただし、スラヴ主義者や西欧派の人々の間では、ナロードノスチ(国民性)は農村共同体という社会制度の重視と結びついて理解され、民衆(ナロード)の再評価、民衆崇拝といった形へと変貌していく。
同時に、「国家イデオロギー」としての歴史学の重要性が認識された。ロシアの歴史を通じて、ロシアのアイデンティティを確立しようとしたのである。そうした歴史観によれば、ロシアにおいては専制権力(皇帝権力)によってロシア国民が繁栄と力と栄光へと導かれるというのである。
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