自宅で父を看取った人の「やさしい5日間」の記録 小1と小5の子どもを連れて娘は実家に転居した

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人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、死はいつの間にか「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと、どう受け止めればいいのかがわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。
一方で悲しいけれど老いた親に触れ、抱きしめ、思い出を共有して「温かい死」を迎える家族もいる。それを支えるのが「看取り士」だ。
嶋田智子さん(50)は、緊急入院後に衰弱した父親(84)を自宅に連れ帰った。看取り士の支援の下、家族で看取るためだ。
帰宅から約2週間後に他界した父親と過ごしたもう5日間を、彼女は「やさしい時間」と語った。

病院から実家に戻った父親が喜んだ理由

「ありがとう」

入院していた父親を実家に連れ帰った次女の智子さんは、父親が自分と目をあわせ、しっかりとした口調でそう言ったので驚いた。

病院で約2カ月ぶりに対面した父親は、自分や母親(82)のことを覚えているかどうかさえ、判然としない顔つきだったためだ。

「こちらこそ、戻ってきてくれてありがとう」

智子さんはとっさに父親にそう返してホッとした。2022年4月中旬のこと。

父親が退院した4月14日。自宅で互いに微笑む父と母(写真提供:嶋田さん)

奈良県で2人暮らしの両親が約3年前、ほぼ同時期に認知症と診断された。父親のほうが病気の進行が早く、約1年前には会話はまだある程度できたものの、文字は書けず、電話応対も難しくなっていた。

「昨年末に(自分が住む山梨から)帰省したときは、かろうじて意思疎通はできるものの、目に見えて衰えたなと痛感させられました」(智子さん)

今年2月に誤えん性肺炎で緊急入院した後は、コロナ禍で面会禁止に。病院とのやりとりはすべて電話だった。

家族に会えない心細さからか、父親の体調は悪化。誤えん性肺炎のせいで、栄養も鼻から注入せざるをえなかった。 

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