自宅で父を看取った人の「やさしい5日間」の記録 小1と小5の子どもを連れて娘は実家に転居した

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一方の乗本さんは、そのときに父親が「ありがとう」と返事をした気がした。

もちろん空耳だ。でも「お母さんのお言葉で、お父様も『ありがとう』とおっしゃいましたよ」と乗本さんが言うと、くしくも智子さんも同じことを直感していた。

なぜか開きっぱなしだった父親の口は以降、ゆっくりと閉じられていった。

同日午前7時すぎに在宅医が死亡確認に訪れた。その間、仮眠をとっていた母親が起こされ、横たわる父親を見て今度はこう言った。

「お父さん、亡くなったの?」

症状の表れ方に波がある母親は、少し仮眠をとったことで、父親を看取ったことを忘れていたようでしたと智子さんは話した。

父親の亡骸と過ごした「やさしい5日間」

亡くなって3日後のこと。父親の亡骸に、智子さんの子どもたちが近寄ってきた。長女(小5)が、実家のベッド上の祖父にグミをあげるまねをすると、今度は長男(小1)が一口大のチョコレートなどをその口元に近づけた。

2人ともおじいちゃんが大好き。実の娘たちには時折厳しかった父だが、孫たちにはつねにすこぶる甘かった。

智子さんの長男と生前の父親(写真提供:嶋田さん)

その顔は心臓が止まった直後よりつややかでした、と智子さんの姉は話した。

「気持ちよさそうに眠っているようでした。母も時おり父に近づいては、『いつまで寝てるの?』とかって声がけをしていました」 

3日目に触れた父親の肩はまだ少し温かく、皮膚は柔らかかったという。その日、父親のお腹の上にドライアイス1つを置いた。5日間は自宅で一緒に過ごしても大丈夫、という乗本さんの判断によるものだった。

「母がお見合いだと知らずに父と会った話も、このときに妹から初めて聞かされました。まだ見ていませんが、家族宛の遺書も残してくれたこともそうです。お世辞にも仲むつまじい父と娘ではなかったですけど、そういう事実を知ることができたのは、とてもよかったです」(智子さんの姉)

1歳の智子さんと父親(写真提供:嶋田さん)

智子さんが生前聞いたところによると、最初のデートでベンチに座る直前に、母親が小さなハンカチをさり気なく父親が座る場所に広げたのを見て、父親は結婚する決意を固めたのだという。

そんな思い出話を3人で共有した5日間を、智子さんは「やさしい時間」と語った。告別式で流すスライド用に、姉妹で過去の写真を選んだりしたことも、家族の軌跡をたどり直すのに一役買っていた。

「母の声がけも後半は、『お父さん、なぜ死んじゃったの?』とかって。少しずつ変わっていきました。父の死を受け入れるには、私たちや孫たちと時間をゆっくりと共有する必要があったんだと思います」

在宅医に死亡診断に来てもらった日の午前中、智子さんは死亡診断書を受け取りに車で病院に向かった。

「エンジンキーを入れると、楽器演奏のみの唱歌のCDが起動して、『故郷』のメロディーが流れたんです。あっ、父も喜んでくれてるって……」

退院祝いに家族で明るく歌った曲だ。軽自動車のフロントガラスの頭上には大型連休目前の、きっぱりとした青空と雲が広がっていた。

荒川 龍 ルポライター

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あらかわ りゅう / Ryu Arakawa

1963年、大阪府生まれ。『PRESIDENT Online』『潮』『AERA』などで執筆中。著書『レンタルお姉さん』(東洋経済新報社)は2007年にNHKドラマ『スロースタート』の原案となった。ほかの著書に『自分を生きる働き方』(学芸出版社刊)『抱きしめて看取る理由』(ワニブックスPLUS新書)などがある。

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