「奨学金440万円」44歳彼が語る親世代への違和感 学ぶ人が「変わり者扱い」される風潮に思うこと

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「当時の私は安藤忠雄のような建築家になりたかったのですが、就職するタイミングがちょうど就職氷河期のド真ん中だったんですね。建築という分野はとくに不景気の影響を受けやすく、また建築界も『四十、五十は洟垂れ小僧』と言われるように徒弟制度が色濃く残っている世界です。大学入学後に『そんな業界で20年下積み生活を送るのってどうなのかな?』と思うようになったんですね」

たしかに若者から見れば時間がかかりすぎる。そうして、船田さんの興味関心は別のモノづくりの分野へと移る。

「90年代後半はさまざまなゲームや携帯電話が世に出始めた頃で、そういうものに触れたくなった私はIT系の大学院に進みました。今でこそ情報デザイン系の学科は各大学にありますが、私が通っていた美大にはなかったんですね。修士課程を修了した後に就職先したのは、大学院生時代からアルバイトをしていた、スタートアップのモバイルゲームの企業。当時はiモードが出たばかりで、初めて『ウェブコンテンツにお金を払う時代』が訪れた時期でした」

バイト先にそのまま就職するというのは一見勇気ある行動に見えるかもしれないが、時代の追い風を受ける形で、仕事は順調そのもの。収入もどんどん上がっていったという。しかし、ハードワークのなかで、人生を考え直すことになる。

「当時のiモードは月額課金で、今で言うサブスクリプションのような形でした。だからこそ、会員を退会させないように、飽きさせない仕組みを作る必要があり、自分はユーザー・エクスペリエンス(編注:Webサイトやアプリなどを利用することで、人々が体験するデジタル体験のこと。UXと呼ぶ)を高める業務を担当していたんです。

仕事は楽しいし、給料もいいし、だけど、いかんせん忙しくて……。そんなふうに悩むなかで、大学院で知り合った妻との間に子どもが生まれました。このことをきっかけに『お互い無理して働くことは困難』と判断し、会社を辞めることにしたんです」

転職し余裕が生まれ、博士課程進学を考える

こうして3年間ほど勤務したモバイルゲーム会社を退職。家族を持ったことで、忙しさよりも安定を重視した船田さんは、当時、創設されたばかりだったとある私立大学に転職する。

「当時はIT業界に人材供給するような学校がたくさん誕生していた頃でした。ゲーム開発のディレクション業務をやっていた経歴を買われて、カリキュラムを作る人材として採用されたわけです。

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