日本人が知るべき戦争「飢餓との戦い」悲惨な実態 太平洋戦争末期の前線では米軍の攻撃より切実に
連合艦隊はほとんど壊滅
アメリカのフィリピン攻略作戦は昭和19(1944)年秋である。10月10日の台湾沖航空戦、10月20日のレイテ島上陸、10月24日のフィリピン沖航空戦と、いわゆる連合艦隊の「捷号作戦」発動以来、運命をかけた大会戦で連合艦隊「武蔵」以下のレイテ湾突入もついに、天佑神助もなく、文字どおり大敗北に終わった。将兵たちの“神さま”でさえあった連合艦隊は、ほとんどここに壊滅した。
駆逐艦「藤波」もこの日最後の艦隊泊地ボルネオ島のプルネーを出撃、フィリピン、シンプソン海で敵機動部隊の攻撃を受け、戦艦「武蔵」とともに消えた。これが連合艦隊の組織的な最後の海戦である、とともに最大の敗北となった。
そして駆逐艦「藤波」は松本連隊を乗せた輸送船団を護衛したあの日から8カ月後、昭和18(1943)年7月大阪藤永田造船所で進水以来、たった1年3カ月の短命だった。
そのころ松本連隊の将兵たちは、トラック島の固い玄武岩の岩磐にハッパをかけて、必死に芋畑を開拓し飢えとの戦いにあけくれて、あの勇敢だった海のつわものたちの死などもちろんだれ知るよしもなかった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら