8月15日を過ぎても戦争を続けた日本兵の末路 「帰りたくても帰れなかった」男性が語った理由
「台湾民主化の父」と呼ばれる李登輝元総統が死去したのは、先月30日のことだった。
日本統治下の台湾に生まれ、日本の教育を受けて育った李登輝は、京都大学在学中に学徒出陣として徴兵される。兄は日本兵としてフィリピンで戦死。2007年に訪日した際には、靖国神社に参拝している。
「22歳までは日本人だった」と本人が語るように、終戦まで日本人として生きていた。岩里政男という日本名も持っていた。その後は台湾人としてのアイデンティティを貫き、国共内戦に敗れた国民党政権が移行してきた独裁体制から、台湾人による総統直接選挙を実現させるなど、民主化への彼の戦いは続いた。
李登輝と同じように、台湾で生まれ育ち、日本人として戦地に送られた人々は少なくない。その中には、終戦後も戦地に残って“日本人”として異国の独立のために戦った元日本兵もいる。
男性が日本に帰らなかった事情
最初にその人物に会ったとき、私は台湾の出身であることを知らなかった。インドネシアの首都ジャカルタでのことだった。いまから15年前のことになる。
戦後60年の節目にあたる当時、私は終戦後も復員を拒み、自らの意思で現地にとどまることを決意した元日本兵を東南アジアに訪ねていた。白髪の大柄な老人で、少しぶっきらぼうだが、はっきりした日本語を話し、自らを「宮原永治」と名乗った。
その宮原に、なぜ日本へ帰らなかったのか、そう尋ねると「帰れないんだ」と、言った。
「帰りたくても、帰れないんだ」「帰る場所がない」
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