硫黄島で死んだ「日本人金メダリスト」の悲劇 米兵にも愛された「バロン西」を知ってますか
日本馬術史上、唯一の金メダリストをご存じだろうか?
1932年のロサンゼルス・オリンピック最終日、西竹一中尉は当時花形競技だった馬術にて勝利し、「バロン・ニシ」の名でその勇姿を称えられ、日本国内はもとより世界からも賞賛を受けた。
しかし、その伝説的英雄も、やがて太平洋戦争最大の戦いのひとつ、「硫黄島の戦い」で壮絶な最期を遂げる。
「日本史を学び直す最良の書」として、作家の佐藤優氏が外交官時代、肌身離さず持ち歩いていた「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て40年ぶりに『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計15万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、硫黄島の戦いの司令官だった栗林忠道中将や西も所属していた千葉県の習志野騎兵旅団の跡地に戦後、開設された東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「硫黄島の戦い」を解説する。
日本馬術競技史上、唯一の金メダル!
日本馬術史上、唯一の金メダリストをご存じでしょうか。
ブラジル、リオデジャネイロ・オリンピックが開催され、日本人選手の活躍が日々続々と伝えられています。
実は、いまから80年以上前に開催された戦前のオリンピックでも、「ある一人の日本人アスリート」が金メダルを獲得しました。
競技は「馬術」。その後、現在に至るまで、日本が馬術でメダルを獲得したことは一度もありません。
今回はその伝説的アスリート「バロン西」こと西竹一をテーマに、なぜ彼は戦場に行かざるをえなかったのか、彼が派遣された「硫黄島の戦い」の全貌を詳しく見ながら、解説したいと思います。
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