硫黄島で死んだ「日本人金メダリスト」の悲劇 米兵にも愛された「バロン西」を知ってますか
今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
伝説的「金メダリスト」はどんな人物?
Q1.そもそも「バロン西」こと西竹一はどんな人物ですか?
西竹一(にし・たけいち)は、華族(男爵)出身の陸軍騎兵将校です。生まれは東京の麻布笄町(こうがいちょう・現在の西麻布2丁目)。学習院から府立一中、陸軍士官学校へと進みます。
「高身長」「美男子」「明るい性格」でいかにも男爵家育ちといった天真爛漫(らんまん)な人柄は、欧米の社交界でも人気を得ました。
Q2. 馬術競技での金メダルは、どのオリンピックですか?
1932年にアメリカで開催された「ロサンゼルス・オリンピック」です。大会最終日の8月14日、西中尉(当時の階級)は愛馬「ウラヌス」とともに馬術大障害飛越個人に出場し、見事優勝しました。
「ウラヌス」は、西がイタリア出張中に、2000円という当時としては大金で入手した名馬です。
Q3.なぜその金メダルが、大きな賞賛を得たのですか?
当時のオリンピックにはまだスポーツに対する「上流階級」イメージが強く、その中で「優雅さ」の際立つ馬術は、最も人気の高い「花形」種目でした。
そのため、馬術は大観衆のメインスタジアムで最終種目として行われ、そこで勝利した西竹一の華麗な勇姿は、人々に「バロン西」の名で称えられました。西の馬術用の長靴は「エルメス」だったそうです。
Q4. 「バロン」とはどういう意味ですか?
貴族や華族の爵位で「男爵」という意味です。彼は外務大臣なども務めた男爵、西徳二郎の三男で、たんなる愛称ではなく、実際の出自です。
Q5. なぜ「金メダリスト」が、戦場に赴いたのですか?
「バロン西」こと西中佐は、「戦車第26連隊の連隊長」として、23両の戦車を率い、1944年6月に硫黄島に派遣されました。
当時、オリンピックの金メダリストへの兵役免除といった優遇制度はありません。それ以前に彼は、騎兵所属という「超エリートの職業軍人」でした。いかに金メダリストとはいえ、戦地への派遣は避けては通れない道だったのです。
硫黄島での「バロン西」は、愛用のむちを手に乗馬用の長靴を着用し、兵士からの人気も高かったそうです。
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