8月15日を過ぎても戦争を続けた日本兵の末路 「帰りたくても帰れなかった」男性が語った理由
そして、怪訝そうな眼差しを送る私に言った。
「台湾の生まれだ」
それから間を置いて、こう続けた。
「蒋介石が入ってたんだ」
宮下が軍に入ったのは、1940年の日中戦争の真っ只中のことだった。それも志願して入隊している。
「当時は学生だったから、社会的経験もないだろ。染められてない、純粋だったんだなぁ! 出征軍人、婦人会から戦意一色でね。『八紘一宇』だ。当時は『大東亜共栄圏』『植民地解放』の2つを標榜してな……。当時の私はそれを聞いて、地図を見たんだ」
青年を駆り立てた理想と夢
わざわざ開いて見たのは、学校に置いてあったアジアを示した世界地図だった。
「地図の色が一色に染まってたんだ」
独立国だった日本と、それにタイを除いて、あとはアジア地域が同じ色で塗られていた。
「みんな白人の植民地。中国も半分は白人の植民地になっている。タイと日本以外は。それも、タイは両隣がもう植民地でね」
一色に染まった日本の世情と、アジアの地図が、日本の掲げる理想である“解放”と“共栄圏”の夢へと駆り立てていった。
「正義の戦争と信じてたんだ」
軍属として最初に中国本土に送られ、その翌年から太平洋戦争に入り、東南アジア各地を転々としながら、最後は少尉待遇の文官として、インドネシア・ジャワ島で終戦を迎える。
ところがインドネシアは、太平洋の島々を攻略・奪還して日本本土を目指すアメリカ軍の侵攻ルートから外れていた。そのため、本格的な戦闘もないまま、戦力が温存されていた。だから、敗戦が受け入れられなかったり、失意から自決する者も少なくなかった。
「ここは天国だった。連合軍はここへは来ない。空襲はない。攻撃もない。それでなんで戦争に負けたのか!?」
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