"幻の五輪"のために徴集された元日本兵の追憶 日系2世の元兵士が戦後もタイに残った理由
今年は終戦から75年の節目にあたる。その夏は、戦後2回目の東京オリンピックで盛り上がりをみせるはずだった。
ところが、日本をはじめ世界中が新型コロナウイルスとの戦いに巻き込まれ、オリンピックは来年に延期された。しかし、いまだに感染者は増え続け、終息の兆しすら見えない。このままでは、来年の開催すら見通せない。
そこで思い起こされるのが、幻に終わった1940年の東京オリンピックだ。すでに日中戦争が勃発し、日本を取り巻く国際情勢は悪化。日本は東京開催予定を返上し、翌年には太平洋戦争に突入する。
その“幻のオリンピック”がきっかけで戦争に巻き込まれた男がいる。オリンピック見物に訪日したはずが、日本語も話せないまま、日本兵として戦地に送られたのだ。
サンパウロ生まれの元日本兵
その元日本兵に私が会ったのは、ミャンマーと国境を接する、タイの小さな街でのことだった。今から15年前のことになる。当時は戦後60年という、いわば“還暦”の節目に当たっていた。
その年の夏、私は終戦後も復員を拒み、自らの意思で現地にとどまることを決意した元日本兵を訪ねる旅に出ていた。ただ、戦後60年ともなると、多くの戦争体験者が鬼籍に入り、もっといたはずの残留日本兵も私の調査ではすでに東南アジアに14人を確認できただけだった(旅の全容は拙著『帰還せず 残留日本兵 六〇年目の証言』に詳しい)。
彼はそのうちの一人だった。名前を坂井勇といった。名前こそ日本人だが、その出身地をたずねると、「生まれは、ブラジル・サンパウロ」と、たどたどしく聞こえる日本語で答えた。
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