「天才を潰し秀才を重用した」日本型組織の末路 東條英機はなぜ石原莞爾より優遇されたのか
太古の昔――森を出た人類は、大型の肉食獣が闊歩する危険なサバンナでの狩猟生活を始めました。五感を研ぎ澄ませて獲物が残したフン、足跡などのかすかな痕跡を追いつつ、茂みの向こうにいるかもしれない外敵の気配を察し、機敏に行動できなければ命の危機にさらされます。
大きな群れでは移動が困難ですから、つねに数人から数十人単位で移動し、権力や定まった上下関係はなく、個々人が自己責任で行動する社会。このような生活を数十万年続けるうちに、「情報分析能力」「決断力」「行動力」に優れた個体だけが生き残り、人類はついに肉食獣を制して自然界の頂点に立つことになったのです。
農耕社会が作った「タテ社会」
ところが小麦や米といった穀物生産が始まると、人類の社会は一変しました。川の近くに定住し、数百人から数千人単位で暮らすようになり、統率者のもとで役割分担が定まっていきます。農業生産は毎年やるべきことがほぼ決まっており、そのルーティンを墨守することが求められます。
共同体内部での分業も進んでいき、上下関係も固定されます。それぞれの職分を守って、ほかの仕事には口を出さないという「タテ社会」が形成されていったのです。
種まきや収穫をいつ始めるか、という「決断力」を問われるのは、統率者(首長)とその側近たち――彼らは異能者として「神官」とも呼ばれました――であり、共同体に属する大多数の者たちは、下された「決断」に従い、任務を粛々と遂行することだけが求められるようになったのです。
もし、「首長の決断は間違っている。私には嵐が迫ってくるのがわかる。収穫はもっと早めるべきだ」などという者があれば、「命令に逆らい、秩序を乱す者」として処断されたでしょう。共同体の維持が目的化した社会では、個々人の「決断力」はむしろ有害とみなされるのです。
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