「天才を潰し秀才を重用した」日本型組織の末路

東條英機はなぜ石原莞爾より優遇されたのか

東條英機は、とくに何か大きな功績があったわけでもなく、与えられた職務をきちんとこなし、出世街道を駆け上っていった結果、たまたま日米開戦時に首相だっただけなのです。

国全体が対米開戦ムードに沸く中、その方向性を変えるだけの決断力も情報分析能力もなかった、というのが東條英機という人物の実像です。実務能力は高く、部下としては有能な「執着気質型の秀才」でしたが、非常時に国家の指導者たるべき人物ではなかったのです。

東條英機と対極をなすのが石原莞爾です。やはり東北の庄内藩(鶴岡)出身で、東條英機より3年遅れて大正7(1918)年に陸大を卒業、こちらは「恩賜軍刀組」です。成績は抜群に優秀なのですが、士官学校時代から教官を罵倒する、授業をサボるなどの問題行動が多く、その一方で神道や日蓮宗に傾倒し、未来予知を行うなど、いわゆる典型的な「分裂気質型の天才」でした。

天才を「殺した」大日本帝国の末路

昭和恐慌の中、政党政治は腐敗し、経済失政を重ねました。石原莞爾ら、軍の中堅幹部は「昭和維新」を掲げて軍事政権を樹立し、統制経済と満洲の植民地化による景気回復を計画します。関東軍の参謀に配属された石原らが計画、実行したのが満洲事変(1931年)でした。

石原の構想では、満洲事変は「序の口」でした。欧州諸国が没落するなか、アメリカが台頭して西洋の覇者となる。アジアでは日本だけが強国として独立を保っている。20世紀の後半に、太平洋の覇権をめぐって日米は必ず激突する。この戦争は航空機を用いた殲滅戦となり、世界最終戦争となるだろう。これに備えて日本は、これ以上戦線を拡大せず、満洲の開発を進めて力を蓄え、アメリカを圧倒できる国力を持たねばならぬ――。

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この遠大な構想を抱いて東京の参謀本部に戻った石原は、盧溝橋事件を口実に中国戦線をむやみに拡大しようとする現場指揮官をたしなめ、近衛首相にも中華民国との和解を進言します。しかし戦略的な平和主義に転じた石原は参謀本部内で孤立し、関東軍参謀副長として満洲に送り返されてしまいます。事実上の左遷でした。何でも自分でやってしまい、根回しを苦手とするのも分裂気質の特徴です。

関東軍参謀長として石原の上司となったのが、不幸なことに東條英機でした。慣例を墨守するだけの東條に対し、石原は「無能」呼ばわりし、激怒した東條は石原を罷免。その後も閑職に追いやられ、日米開戦の直前に予備役にさせられました。引退を強制されたのです。

皮肉なことに、20世紀後半の日米開戦を「予言」した石原ではなく、石原の戦略をまったく理解できなかった東條が首相になりました。この実務家が、「もう決まったことだから」と、時期尚早の日米開戦に踏み切り、20世紀の半ばで大日本帝国を崩壊させました。この結果、300万人の同胞が命を落としたのです。

日米開戦の原因は複合的で、日本だけに非を求めるのは誤りです。しかし、開戦直前のあの決定的な時期に、石原莞爾という「天才」を自ら葬ってしまった帝国陸軍の組織的過誤は、教訓として語り伝えるべきでしょう。この問題は日本型組織の病理として、企業経営者にも大きな教訓となるはずです。

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