「天才を潰し秀才を重用した」日本型組織の末路

東條英機はなぜ石原莞爾より優遇されたのか

近代日本の陸海軍の母体になったのは、戊辰戦争で幕府軍と戦った薩摩軍・長州軍です。長州の高杉晋作、薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬……「幕末維新の志士」といわれる人々は、大動乱を生き残るための危機対処能力に優れた分裂気質者が多かったようです。

しかし彼らは、新しい国家秩序の建設には不向きであり、その多くは志半ばでたおれました。明治官僚国家を建設したのは、大久保利通のような執着気質型の「秀才」だったのです。この時代に、高級官僚の養成学校として東京帝国大学が、陸海軍の将官養成学校として陸軍大学校、海軍大学校が創建されました。

とはいえ、「元老」と呼ばれる維新の功労者たちが明治期を通じて政権の中枢を掌握し、陸軍は長州出身者、海軍は薩摩出身者が要職をしめる「藩閥支配」が続きました。

日露戦争で旅順要塞を攻略した陸軍の乃木希典(第三軍司令官)は、萩藩の藩校・明倫館の出身。バルチック艦隊を壊滅させた海軍の東郷平八郎(連合艦隊司令長官)は薩摩武士独特の郷中(ごじゅう)教育――地域単位で青少年が自主的に武芸と読み書きを学ぶ――を受けて海軍士官となりました。彼らの才能はテスト勉強ではなく、まさに実戦の中で培われたものなのです。

なぜ東條英機は首相になれたのか

このような「たたき上げ」に代わって東大・陸大・海大を出た学歴エリートが、官界や軍の中核を占め始めるのが明治後半からです。とくに戊辰戦争で幕府側についたため「賊軍」とみなされた東北地方の出身者が要職に就くためには、東大・陸大・海大を優秀な成績で卒業することが必須条件でした。

陸大の卒業生は1期につき50人前後。そのうち成績優秀者数名は宮中に呼ばれ、天皇から菊の御紋の入った軍刀を拝受するため、「恩賜軍刀組」と呼ばれました。こうなるとスーパーエリートで、将来は軍司令官のポストは確実、陸軍のトップである参謀総長、陸軍大臣、教育総監になることも夢ではありません。

「賊軍」の盛岡藩士だった東條英機の父・英教は、陸大を首席で卒業しながら長州閥に疎まれて陸軍中将止まりでした。

【2019年8月15日12時15分追記】初出時、東條英教の表記に誤りがありましたので修正しました。

その思いを託された息子・英機も「努力の人」で、2浪してやっと陸大に入学したのが大正元(1912)年。卒業時に恩賜軍刀組には入れなかったことを悔しがります。そのまじめさが先輩からかわいがられて順調に出世を重ね、参謀本部第一課長→満洲を管轄する関東軍参謀長→近衛内閣の陸相を経て、日米開戦の直前に組閣の大命を受けたのです。

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