"幻の五輪"のために徴集された元日本兵の追憶 日系2世の元兵士が戦後もタイに残った理由

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そこへ、日本の引き揚げ船がマラッカ海峡で英国軍に撃沈されたという、真贋も定かでない情報が入った。坂井はそのまま部隊を離れていった。

幻のオリンピックが招いた悲劇――。ただ、単純にそう呼ぶこともできないのは、彼のその後の人生による。

日本への帰還を拒んだ坂井は現地でかくまわれ、ミャンマー女性と結婚。そのままタイに逃れて国境の街に暮らした。

自動車部隊にいたこともあって、機械の整備や修理で生計を立て、大きな家も建った。子どもは4人、孫は10人を超え、ひ孫までいる。大家族になった。あのとき、日本に帰らなかったことを「後悔はしていない」と言った。

ブラジルに帰らなかった理由

ただ、戦争が終わって、日本に家族がいないのなら、ブラジルに帰ることもできたはずだ。なぜ、それをしなかったのか。むしろ、東京オリンピックを見物に来たからこそ、人生を狂わされたのではないか。ブラジルを出なければ、悲惨な前線に送り込まれることもなかったはずだ。最後に私がそう問うと、坂井はこう答えていた。

「後悔なんてしてない。そんなことはない。なぜなら、実は東京オリンピックというのはきっかけにすぎないんだ。本当のところは、ブラジルで失敗して日本へ来たんだ……。

わしのお父さんというのは、その実のお兄さんと一緒にブラジルでコーヒー園をやって、そのお兄さんの財産になったまま、お兄さんが死んだんだ。そうするとブラジルでは、お兄さんの息子5人に財産が分配されることになる。ブラジル式で。だから、わしのお父さんには財産が何もなくなってしまった。それで日本へ来た。

だから、日本へは一文無しできた。友達もない、親戚もない、何もない。ブラジルでも、日本でも一文無し。ならば、戦争に行くことも……と、そのときにあきらめたんだ。国民のためなら。どうせ行くならば、とね」

坂井が家族に看取られながらこの世を去って久しいが、東京オリンピックが延期となって迎える75年目の夏、かつての日本兵がしのばれてならない。(敬称略)

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事