"幻の五輪"のために徴集された元日本兵の追憶 日系2世の元兵士が戦後もタイに残った理由

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山岳地帯を進まなければならなかった坂井たちの部隊は、自動車の代わりに牛車や象などに物資を運ばせた。ところが、作戦の開始時期が雨季と重なったため、地面は湿ってぬかるみ、象や牛は足をとられて思うように進まなかった。

食料が尽きれば、この肉も食べることになっていた。これを「ジンギスカン作戦」と呼んでいた。

「象も食べたよ。水牛みたいな味だった。ちょっと粗い」

坂井は、地雷を踏んで足を吹き飛ばした象を食べたそうだ。

やがて撤退が始まると、坂井が歩く道すがら、完全にへたり込んで、横たわってしまっている者があちらこちらにいた。

ある者はズボンの尻のあたりが湿って汚れていた。下痢にやられている。息をしているのかもわからなかった。そうかと思うと、顔を赤らめ、激しく切れ切れの息を続ける者もいた。高熱によって動けなくなったのだ。

前者はコレラ、後者はマラリアに冒されていた。野戦病院にたどり着いても、そこは死体置き場に変わっていた。

帰るべき祖国はどこにあるのか

坂井もあるときから、ふらふらするようになった。それに、熱い。顔見知りの衛生兵に声をかけると、「マラリアだ」と告げられた。

幸運なことにまだ残っていた注射を打ってくれた。それで、少しは楽になった。しかし、高熱による覚束ない症状は続いている。それでも、歩みを止めるわけにはいかなかった。

この坂井の歩いた道は、兵士の死体が横たわる「白骨街道」と呼ばれるようになる。

やがてたどり着いたビルマ(現ミャンマー)の日本の駐屯地で、敗戦を迎えた。武装解除となり、そのまま復員のときを待っていた。

だが、そこで坂井はわからなくなる。帰るべき祖国はどこにあるのか――。

日本へは東京オリンピックを見物に行ったはずだった。それが兵隊にとられた。父親は日本に滞在して1年で他界してしまった。一緒だった母親と姉は、坂井が召集を受けてから、ブラジルに帰ってしまっていた。戦友と引き揚げ船に乗って日本へ帰ったところで、家族は一人もいない。

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