現代アートの世界にも広がる「加害者」の強迫観念 日本人が知らない「ドイツの贖罪」が隠す歴史
澤田:ドイツ社会での激しいムベンベ批判については、著書でも「アパルトヘイトや奴隷制、植民地主義ジェノサイドという非欧州の記憶によるホロコーストの地位への挑戦を許さないという意思表示だ」と指摘していますね。ドイツについては、ホロコーストと植民地主義ジェノサイドで態度を使い分けてきたという批判もされています。
林:イスラエルに対して謝罪と賠償を繰り返してきたドイツは、旧植民地での虐殺にはまったく違う態度を見せてきた。20世紀初頭に植民地支配していたナミビアでのナマとヘレロという2つの民族に対するジェノサイドに、公式な謝罪ではなく「遺憾」を表明したのは昨年のことだ。このときに支払うと発表した11億ユーロも、「賠償」ではなく開発支援金としてだった。
ナミビアでの死者は20万人で、ホロコーストの600万人との差は大きい。しかし、「強制収容所」や「ドイツ民族の生活空間」「絶滅戦争」などホロコーストを支えた植民地主義的ジェノサイドの概念は、ほぼすべてがナミビアでの虐殺に端を発している。
芸術作品や思想を拒む集団的感性は危うい
澤田:今回のドイツでの騒ぎは、2019年の「あいちトリエンナーレ」で起きた企画展「表現の不自由展・その後」を思い起こさせます。昭和天皇の肖像を燃やすシーンのある映像作品や慰安婦を象徴する少女像を展示して抗議が殺到し、企画展は一時中止に追い込まれました。日本とドイツで起きたことは何が違い、何が同じなのでしょうか。
林:ドイツでの2つの騒動で反発の政治的主体となったのは、保守派政党であるドイツ自民党だ。日本で起きた政治的検閲とも言える騒動の主体が右翼民族主義グループであることと、一定の共通性がうかがえる。
何が正しいかとは別の問題として、自分たちが慣れ親しんできた支配的な記憶体制にそぐわない芸術作品や思想を拒む集団的感性は危うい。異なる考えに対するこうした不寛容は、「反ドイツ主義」の書物を焼いたナチの焚書とそれほど変わらない。複数の歴史、複数の記憶が衝突するのは避けられないことであり、力で解決できるようなものではない。
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