出井伸之が84年で形作った「華麗なる人脈」の凄み ソニー初の生え抜きサラリーマン社長が歩んだ人生

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出井氏の「華麗なる人脈」は、同年代、年上とは限らない。自身より若い「やり手経営者」にも積極的にアプローチした。ソニー時代からベンチャーの支援に熱心だった。

「彼の目を見てください。志に燃え、きらきらと輝いている」

この一言でわかるように、出井氏が一目ぼれした人物がいる。マネックスグループを創業した松本大(おおき)氏である。筆者も、創業当時の松本氏にインタビューしたことがあるが、確かに眼力は強かった(なぜか、だてメガネをかけていた)。オンライン証券会社がめずらしかった時代に、個人投資家向けにその将来性について熱く語っていた。

松本氏は出井氏の前でも熱弁を振るった。出井氏は出資を即決し、1999年、ソニーはマネックスに50%出資した。出井氏はソニーを退職した後も、クオンタムリープでベンチャー支援を続けていた。

日本でベンチャーが育たないのは、資金調達の壁があるからだ。京都では、オムロンの創業者である立石一真氏のように、若手起業家を育てるためエンジェルとなり金も出すが口も出す創業経営者がいたが、大企業のサラリーマン経営者が、1人の起業家に一目ぼれして、自社と折半出資に持ち込むケースは非常に少ない。このような冒険を出井氏は実行したのだった。

上司に恵まれたサラリーマン人生

何度もクビになりかけた出井氏。仕事以外でも、危ない経験をしている。盛田氏とダブルスを組みテニスをプレーしていたときの話だ。思い切りラケットを振ったところ、盛田氏の顔に当たり、血が流れた。「あのときは、本当にクビになると思いました」という。盛田氏は何も言わなかったそうだが、数多くの挫折を経験した出井氏を象徴するようなエピソードである。

もう1つ、笑うに笑えぬエピソードがある。実は、フランス駐在時代、出井氏は転職活動をしていた。ある企業からスカウトされた。転職の動きを嗅ぎつけたのが大賀氏だった。フランスに来た大賀氏が出井氏に一言。

「君にA社から声がかかっただろう。その会社、私にもアプローチしてきたよ」

実に、大賀氏らしいブラックユーモアである。その後も、大賀氏からは何度も「クビだ」と言われた。しかし、それはハラスメントではなく、トップ候補育成のための愛の鞭だった。

実に、出井氏は上司に恵まれた。これが、出井氏のサラリーマン人生を成功に導いた最大の要因であったのではないだろうか。オープンイノベーション、副業、異業種間交流が叫ばれる昨今だが、「最強の『華麗なる人脈』は社内にあり」は今もなおサラリーマンの鉄則であり、人脈形成の手間から考えると効率が良い。ただし、その会社が持続的成長を遂げるという大前提がある。

パナソニックの創業者である松下幸之助氏は、「愛嬌」の重要性を強調した。深い意味がある。出井氏は表面的には、愛嬌があるほうではなかった。いや、誰にも媚びへつらわなかった。それには、覚悟が要っただろう。出井氏特有のダンディズムが身なりだけでなく、精神にまで浸透していたようだ。

誰にも媚びへつらわない姿勢を貫くには、大いなる自助努力なくしては無理だ。出井氏は、挫折を挫折で終わらせなかった。転んでもタダでは起きない、を実践した。挫折を必ず、後に生かしているのだ。それを可能にしたのが人との出会いである。人に会うことで情報収集し、問題解決や構想につなげた。そのため、つねに新しい人と出会うため、自ら出会う機会をつくり、できた縁を大切にし、維持するように心がけた。筆者もその1人であったとすれば光栄なことだ。

きっと、出井氏は天国でも「華麗なる人脈」を拡げているのではないだろうか。合掌。

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