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「蔵相には蛮勇が必要」世の空気を変えた歴史的なラジオ演説、経済学者が荒療治を提唱 「預金封鎖」から80年①

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経済学者の大内兵衛氏
「蛮勇演説」を行った経済学者の大内兵衛氏  (写真::毎日新聞社/アフロ)

この国では、忘れた頃に「預金封鎖」の噂が持ち上がる。政府が国民の金融資産を召し上げ、莫大な借金の返済に充てるという奇説で、2000年代初めに広がり、その後もしばしばメディアで取り上げられた。24年7月の新紙幣発行の際にも「旧札が使えなくなる」との説がSNSで広がり、財務省が注意を呼びかけた。

風説には、経済の先行き不安だけでなく、預金封鎖が実際に行われたという事実が影響している。「一度やったのだから、またやるのではないか」という疑念だ。

今から80年前の1946年2月、政府は預金封鎖と新円切り替えを断行した。今週から4回にわたり、当事者たちの証言を基に“荒療治”の舞台裏を検証する。

「すべてが五里霧中」 蔵相声明も信用されず

過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

45年8月15日。現在は旧館と呼ばれる日銀本店の5階講堂に全職員が集結した。一同整列し、正午からのラジオ放送に耳を傾けた後、総裁の渋沢敬三が壇上に立った。あの渋沢栄一の孫である。

「ただいまの玉音放送をお聞きになったとおり、日本は敗れました。何も言うことはありません。こういう事態になったので、本日は早めにお帰りください」

『日本銀行職場百年』によると、総裁の目には光るものがあり、職員の間からすすり泣く声が聞こえた。本店の屋上から官庁街を望むと、機密書類を焼く煙があちこちから立ち上っていたという。

当時、大蔵省の銀行課長だった河野通一(のち日銀副総裁)は「いちばん困ったのは、すべてが五里霧中だったことです。金融関係でも(中略)この先どうなるか見当もつきませんでした」とオーラルヒストリーで回想している(戦後財政史資料「通貨措置の諸問題」)。

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