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渋沢栄一の孫が直面した"戦後インフレ"の帰結 「円」が最も揺らいだ敗戦直後に何が起きたか

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渋沢栄一の後継者が奮闘した。

新円を手にする渋沢敬三大蔵大臣
[1945年10月〜46年5月 大蔵大臣]新円を手に(1946年2月、写真:毎日新聞社/アフロ)

特集「新1万円札の顔 渋沢栄一」の他の記事を読む

7月3日、40年ぶりに1万円札の肖像が変わる。明治から昭和にかけ、近代日本の経済勃興期を駆け抜けた人物だ。

「『現行の日本銀行券が使えなくなる』などを騙(かた)った詐欺行為にご注意ください」──。新札発行を前に、財務省や日本銀行はこう注意を喚起する。

新札発行後も、お札は1万円札であれば福沢諭吉でもその前の聖徳太子でも通用する。なんと1885年に発行された1円札さえ法的に効力を持つ。

ただ、「今のお札が使えなくなる」という詐欺文句を高齢者ほど真に受けやすい理由もある。かつて実際に使えなくなったことがあるからだ。敗戦後インフレが進行する中、1946年2月に実施された新円切り替えがそれである。当時の大蔵大臣は、渋沢栄一の孫であり跡取りである敬三だった。

東条英機に押し切られ総裁に

学者になりたかった敬三だが、栄一から実業界に入るよう懇願されその道を断念。横浜正金銀行を経て、第一銀行の副頭取に就いた敬三は42年、戦時下で政府が金融統制を強める中、日銀副総裁に引っ張り出される。金融界の調整役を期待されたのだろう。二度断るが、最後は首相の東条英機に押し切られ、総裁となり敗戦を迎えた。

この時期の日銀は、戦費調達のための国債引き受けや軍需産業への貸し出しを担ったため、戦後のインフレーションを招いたと敬三は批判を浴びた。敬三の経済人の側面について書籍にまとめた武田晴人・東京大学名誉教授は「他の選択肢があったのだろうか」とそうした批判に疑問を投げかける。

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