敬三の手帳をひもといた神谷久覚・亜細亜大学講師によると、日々、日銀券発行高と思(おぼ)しき数字を記していた。その額は8月15日の終戦以降、急激に膨らむ。軍が軍人の退職金や軍需企業への補償金を支払ったためだ。銀行券の印刷が逼迫するほどで、敬三は「寝られなかった」と述懐している。
変質した財産税
10月、首相・幣原喜重郎の要請で大蔵大臣に転じる。直後に、東大教授の大内兵衛が「渋沢蔵相は蛮勇を振るえ」とラジオで演説し、インフレ抑制のため戦時補償、つまり戦争中に軍需企業などに約束した支払いを打ち切るよう求めたが、敬三は、打ち切りは生産向上につながらないことを確信していたと振り返る。ただ、本当に払うべき金額を洗い出す作業は、軍が書類を焼いたため難航したようだ。
「払うべきものは払い、取るべきものは取る」という基本方針の下、敬三の大臣就任直後から、大蔵省内では一度だけの財産税で公債を償却し財政を立て直すというプランが検討されていった。
折しもインフレ抑制や食料不足、預金取り付けによる金融恐慌のおそれといった複数の理由から、2月17日日曜に新円切り替え、預金封鎖を柱とする金融緊急措置令、日本銀行券預入令が施行された。
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