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銀行券150年 「突出した戦時期」「膨らむ現代」 発行高・残高の推移や歴史をコンパクトに解説

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先駆けは国立銀行券だった。

明治22から昭和33年まで発行されていた一円券
(写真:ram87 / PIXTA)

特集「新1万円札の顔 渋沢栄一」の他の記事を読む

7月3日、40年ぶりに1万円札の肖像が変わる。明治から昭和にかけ、近代日本の経済勃興期を駆け抜けた人物だ。

日本における銀行券の先駆けだった国立銀行券だが、発行高は政府紙幣に遠く及ばなかった。政府紙幣とは、政府の信用に基づいて発行される紙幣を指す。

とりわけ国立銀行券が金兌換であった1876年までは、発行してもすぐに兌換されてしまったという。紙幣の信用を高めるために正貨(金、銀)との兌換を約束しても、だからといって信用されて流通するとは限らない。

1868(明治元)年に新政府で最初の政府紙幣である太政官札を発行したのは由利公正。福井藩士として藩札発行による殖産興業で藩財政を立て直した経験があった。太政官札は不換紙幣で、財政基盤のない新政府にとってその発行には、旧幕府軍との戦いの費用の調達と殖産興業の2つの狙いがあった。

政府紙幣発行高は1877年の西南戦争を受けて増え、同じ1円でも銀貨との交換レートが下落した。こうした中、1882年に日本銀行が設立され、3年後に銀兌換の日本銀行券の発行を開始した。国立銀行券と政府紙幣が通用停止となって日銀券に一元化されたのは1899年、太政官札発行から31年後のことだ。

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