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99歳のひ孫が振り返る「渋沢栄一は欲のない人」 渋沢家4代が住んだ邸宅にて特別インタビュー

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渋沢家4代の邸宅でひ孫・雅英さんが語る。

ソファに腰掛ける渋沢雅英氏
洋館の客間で復元されたソファに腰掛ける(撮影:尾形文繁)

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7月3日、40年ぶりに1万円札の肖像が変わる。明治から昭和にかけ、近代日本の経済勃興期を駆け抜けた人物だ。

85歳の渋沢栄一のひざに赤ちゃんが乗っている。生後8カ月だったひ孫の雅英さんだ(下写真)。

1925年(大正14年)11月、表座敷の居間にて栄一と家族。中央の栄一のひざに乗せられた赤ちゃんが当時8カ月の雅英さん(写真:渋沢史料館所蔵)

今年5月、御年99歳の雅英さんが、写真が撮られた和室に足を運んだ。

移築された表座敷の居間に足を運んだ(撮影:尾形文繁)

渋沢家4代が住んだ邸宅は、流転の末に昨年、渋沢家に関連する建築を一手に担った清水建設により青森県六戸町から東京都江東区潮見に移築・復元された。

雅英さんが語る曽祖父・栄一と父・敬三、そして家の記憶とは。

紙幣の始まりと終わり

雅英さん この辺り(客間のある洋館)は敬三さんが造った部分です。向こう(和館の表座敷)は栄一が清水建設の方(前身・清水屋の2代喜助)と一緒に造った大変立派な建物なんだそうです。

右側が栄一の建てた和館(表座敷)、左側が敬三の建てた洋館(撮影:尾形文繁)

邸宅は和館と洋館がなだらかに連なる。表座敷は2代喜助の手による建物で唯一現存するため、清水建設は2018年、当時の所有者から取得し移築すると決めた。翌19年、新1万円札の肖像画を栄一とすることが財務省から雅英さんに伝えられた。

雅英さん そのとき、今後お札は要らなくなるのではというお話でした。渋沢栄一はある意味で近代日本の貨幣制度の始まりに立ち会った人で、その栄一が最後の紙幣に関わるんだなと思いました。

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