雅英さん 栄一は私が6つのときに亡くなったので、人間としての記憶はあまりないんです。非常に偉い人だったんでしょうね。そして、あまり欲がなくて。「お金は持っていなくちゃいけないよ」とは言っていたみたいなんですが、たくさん貯めようっていう気はなかったんですね。生活ができればいいということで。
何百という会社をつくったと言われていますけれど、それはお手伝いをして、一緒につくったという場合が多くて、“渋沢栄一株式会社”というものはあまりなかった。自分のテリトリーをつくる意識はあまりなかったんじゃないですかね。
若い頃、雅英さんは栄一にそれほど関心はなかったという。栄一が「日本資本主義の父」として行ったことは戦争ですべて失われたと思っていたからだ。
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