1980年2月、日銀総裁に着任したばかりの前川春雄は、大平正芳首相の私邸をひそかに訪ね、インフレ防止のため一刻も早く金融引き締めを強化する必要があると直訴した。衆議院での政府予算案の審議中に公定歩合を引き上げるのはタブーだったことから、大平は「考えさせてほしい」と答えるにとどめ、日銀はそこから延々と待たされることになる。
金融政策の担当理事だった中川幸次は、当時の重苦しい空気について、自著『体験的金融政策論─日銀の窓から』(日本経済新聞社)に次のように書いている。
「それから一週間の間、われわれは気が気でなかった。(中略)かりに政府からノーの返事が来ても、あきらめず、二度三度と押し返すことまでは、皆の意見が一致していた。しかし、それでもなお総理がノーと言った場合はどうするか。前川総裁はギリギリの線での決断を求められていたように思う」
事態が動いたのは、会談から6日後、2月15日のことである。公明党の二見伸明が衆院予算委員会で、前川を参考人として呼び、「予算審議中でも必要なら公定歩合を引き上げるのか」と突然問いただしたのだ。
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