1980年2月、前川春雄総裁率いる日本銀行は、史上初めて衆議院での予算審議中の公定歩合引き上げに踏み切った。筆者はそこに至るまでの詳細な内部文書を独自に入手した。前週に続き、44年前の決断の舞台裏を再検証する。
第2次オイルショックによるインフレを警戒する日銀と、予算審議中の金融引き締めに反対する大蔵省(現財務省)との意見調整は難航し、ついに総裁と大蔵大臣、そして総裁と首相との頂上会談で事態打開を図ることが決まった。
2月9日、土曜日。東京は凍えるような寒さだった。
午前8時、港区赤坂の小高い丘に立つ日銀氷川寮で、前川と蔵相の竹下登による会談が行われた。大蔵事務次官の長岡実、日銀副総裁の澄田智(のち総裁)、銀行局長と政策担当理事も同席した、と日銀側の資料に書かれている。
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