
(撮影:梅谷秀司)
金融当局者と議論すると、「どこがポイント・オブ・ノーリターン(帰還不能点)だったか」がしばしばテーマに上る。帰還不能点とはもともと航空用語で、そこを過ぎると出発点まで戻る燃料がなくなってしまう限界点をいう。もしあそこで決断していたら、その後の展開は大きく変わったはず──。今週から1990年代初頭にタイムスリップし、多くの当局者が同意するバブル崩壊直後のポイント・オブ・ノーリターンを再検証する。
92年夏。首相は72歳の宮澤喜一だった。前年11月、海部俊樹の後を襲って政権の座に就いた。以来、マスコミの酷評に耐えながら、7月の参院選で改選過半数を取り、ようやく安定期を迎えつつあった。
党内きっての政策通を自任する宮澤は、内外の経済指標がびっしり書き込まれた2枚のペーパーをつねに背広の内ポケットに忍ばせていた。1枚は経済企画庁が毎週更新し、もう1枚は大蔵省が半期ごとに作る。さらに愛用の手帳には、日々の為替レートと日経平均株価を欠かさず記録し続けていた。
そんな宮澤が、膨大なデータを手に首をかしげる日が増えた。景気診断に過去の経験則が役立たなくなっているのである。
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