バブル崩壊の足音が一段と強まった1992年8月。首相の宮澤喜一は、日本経済変調の原因が金融にあると考え、従来の発想を超えた対策を模索し始める。
官邸には政財界から公的資金の投入を求めるペーパーが次々と集まり、日銀からも政治決断を促す重要情報が寄せられていた。
それは7月26日の参議院選挙が終わった後、宮澤との昼食のときだった、と首相側近は記憶している。新聞の首相動静で調べたところ、7月30日か8月6日だった可能性が高い。
官房副長官に首相秘書官も交えた官邸での昼食の最中、宮澤が食事の手を休め、こんな話を始めた。
「アメリカのS&Lの救済策やらイギリスのライフボートの件を見てもだな、それなりのものを日本の金融機関に対してもやらないと、これは大変なことになる」
一拍置いて、こう結んだ。
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