出井伸之が84年で形作った「華麗なる人脈」の凄み ソニー初の生え抜きサラリーマン社長が歩んだ人生

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出井氏の才能、キャリアが見劣りするという意味ではなく、ほかの14人と比べて、「違う何か」を持っていると大賀氏が判断し、そのほかの人を消去したのだろう。「違う何か」がこれまでのソニーにはない「違う何か」を創出してくれると期待したに違いない。そのきっかけとなったのが、シンクタンク時代に出井氏が大賀氏に渡したレポートであったと考えられる。

社長就任の内示が出る前まで出井氏は、「こんな会社の社長になりたい人がいるのだろうか」と内心思っていた。バブル経済崩壊後の長期低迷に突入し、取り巻く環境も大変厳しいものだった。すでにソニーは、売上高4兆円の国際的な企業に成長していたが、1ドル=80円を割り込む円高、コロンビア映画買収に伴う膨大な有利子負債、ソニー・アメリカの乱脈経営、東芝陣営とのDVDのフォーマット争いでも苦戦していた。

ソニー初の生え抜きサラリーマン社長

会長兼CEOになった大賀氏まで、創業世代が社長を務めた。いずれもカリスマ性が強いトップだった。出井氏ははじめて登場した生え抜きのサラリーマン社長として、いかに強いリーダーシップを発揮していくかが大きな課題となった。そこで、オーディオ・ビデオに加えてIT時代に対応した新しいソニーに変革するため、キャッチフレーズを二つ考えた。「リ・ジェネレーション(第二の創業)」と「デジタル・ドリーム・キッズ」である。広報・宣伝で学んだ言葉の力を信じた。出井氏が言うところの、「コーポレート・コミュニケーション」、経営としてのブランド戦略である。

社長の初仕事は、コンピューター事業への回帰だった。ここでも出井氏のコンピューター事業部長時代に培った「華麗なる人脈」がものを言う。すぐに頭に浮かんだのが、アンディ・グローブ・インテル社長だった。グローブ氏は全面的な協力をすると約束し、その条件として、これまでにない「ソニーらしい」パソコンを作るよう求めた。そして、1997年に発売されたのが、軽量・薄型のノートパソコン「VAIO(バイオ)」だった。その後、平井CEOにより分離・独立されるが、当時は、「ソニーらしい」斬新なデザインが話題を呼んだ。

社長になってからの出井氏は経営層の人事に「華麗なる人脈」を生かそうとした。1997年5月、米3大ネットワークの一つ、CBSブロードキャスト・グループ元社長のハワード・ストリンガー氏をソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ(米現地法人)の社長としてスカウトする。ソニーの主力市場であるアメリカで業績を大きく改善した手腕が認められ順当に昇進、2005年6月、ソニーCEOになる。初めての外国人トップ(イギリス出身)として話題を呼んだが、CEO就任後はヒット商品を出せず業績が低迷し、株価も急落してしまった。その結果、出井氏の任命責任が問われるようになった。

だが、長期的視点で評価すれば、あながち失敗人事であったとは断定できない。ハードとソフトを融合させインターネット時代に対応するという出井氏のビジョンに乗り、エンターテインメント分野の「華麗なる人脈」を紹介し、同分野での経験にものを言わせ、エンターテインメント部門の社員の士気を高揚したのは、ストリンガー氏の功績であったと言えよう。

ソニーの保守本流とされてきたエレキ(エレクトロニクス)部門の経験がなく、主に、音楽、ゲームなどのエンターテインメント畑を歩んできた平井氏を後任CEO候補として推したのはストリンガー氏だった。「ストリンガーにネイティブ・イングリッシュでゴマを擦れる人は、ソニーに平井さんしかいない」というブラックジョークが飛び交うほど、ストリンガー氏と平井氏は強い絆で結ばれていた。

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