出井伸之が84年で形作った「華麗なる人脈」の凄み ソニー初の生え抜きサラリーマン社長が歩んだ人生

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エンターテインメント部門の基盤を作った出井氏だが、対外的な「表現」を見ていると、二枚目の主演俳優に近い印象を受けた。格好悪い姿を一切見せなかった。俳優は人間であるが、自身の「ソフト」を売りにしている。同様に、出井氏も経営者の「ソフト」面を重視していた。

出井氏は社長に就任する前から、話の内容はもちろんのこと、話し方、見せ方に神経を尖がらせていたようだ。筆者が社長室でインタビューしたとき、ノーネクタイでジャケットの下はタートルネックのセーターという出で立ちで登場した。その着こなしがあまりにも板についていたので、ファッションの好みについて聞くと「カシミヤを好んで着ますね」と言う答えが返ってきた。

そして、カメラマンが写真を撮ろうとしたとき、「僕は学生時代に写真部に所属していたんだよ」と言い、カメラマンとカメラや撮影技術につい会話を始めた。今思い起こせば、“SONY”というブランドをしょって立っているという自負があり、責任を感じていたようだ。出井氏は「トップ広報」の先駆けと言ってもいい存在である。

コーポレート・ブランドの象徴としてのトップを演じるうえで、良い予行演習となったのが、1989年の人事だった。取締役となり、その翌年に広報と宣伝、デザイン担当の役員に就いた。

「評論力」こそが真骨頂だった

この頃、ソニーはメディア関係者を招いて懇親会を開いていた。大賀社長の傍でSPのごとくニコリともせず、鋭い視線を送り立っていた背が高い人の姿を覚えている。その人こそ、広報担当役員の出井氏だったのだ。

広報担当役員として、メディアやアナリストへの対応をするだけでなく、「プロダクツ・ライフスタイル研究所」という社内シンクタンクを設ける。「カンパニー・エコノミストになりたい」と言って入社した出井氏の夢を自ら実現させた。「ソニーショック」の折、出井氏は「実行を伴わない評論家」だと揶揄されたが、現在の経営者たちを見渡すと、論理的に考え、事業を構想し、それを上手に表現する「評論力」が欠けた人が少なくない。

この「評論力」こそが、出井氏の真骨頂であったという見方もできる。まず、プロダクツ・ライフスタイル研究所から、レポートや本を相次いで発表した。激変する環境変化に対応したソニーのあり方を提言するようになった。そして、その「評論力」が社長への道も切り開く。

ビル・クリントン政権時代、アル・ゴア副大統領が1993年に提言した「情報スーパーハイウェイ構想」に衝撃を受けた出井氏は、「このままではソニーは絶滅する」という危機感を訴えた。翌年1月、「スーパーハイウェイへのソニーの対応」というレポートを大賀社長に提出した。このレポートは、今見られるインターネットによる変化を、驚くほど見通している。言い換えれば、現在あるソニーグループのビジネスモデルの基礎は、出井氏が固めたといっても過言ではない。

1995年1月、出井氏は社長に任命される。大賀典雄社長から次期社長に指名された。14人の先輩たちを追い越しての就任だった。大賀社長が新社長の記者会見で発した「消去法で出井氏を選んだ」という言葉が独り歩きした。その背景には、当初、社長有力候補だった1人が、週刊誌にスキャンダルを報じられたことで、そのほかの候補から選ばざるをえなくなったという明言しにくい事実があった。

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