「共感力がある人」と実はない人の決定的すぎる差 「共感アピール」をする人はとってもウザい
対人関係をよくするためには、共感力が必要だ。最近特にビジネスの現場では「共感力」や「共感コミュニケーション」というキーワードが取りざたされている。しかし不要な共感力もあるのだ。
相手のことをわかっていそうで、わかっていない。にもかかわらず、あたかも「私は共感してます」とアピールする人がいる。
「君のことは私がいちばんわかってるんだよ。こういうふうに感じてるんだろ? 私はちゃーんとわかってるんだから」と言うのだが、実のところまったくわかっていないのだからタチが悪い。共感力というより「共感アピール力」と言えばいいのか。こういう共感力は、対人関係を悪くする。
いろいろな経営者と話をするが、「社員のことは私が一番わかっている」という話をよく聞く。本当にそうだろうか。社員からヒアリングすると、その実態がかけ離れているケースもある。こういう人は共感力が低いのだ。
共感力が高い人と低い人の差
辞書を引いてみると、共感とは「他者と喜怒哀楽の感情を共有すること」とある。目の前の相手が苦しい気持ちでいるなら、何も言わなくても「苦しいんだろうな」と、その感情を共にできる。そういう力が共感力だ。もっと共感力が高ければ、
・苦しいけれど、声をかけてもらいたくない
という感情も共にできる。さらにレベルが高い共感力を身につけていれば、
・苦しいけれど、声をかけてもらいたくない、しかし何気ない素振りで仕事は手伝ってほしい
こんな感情、思いまで共有できるのだ。つまり、「こんなの全然大丈夫だって。お前ならできる」と言ってくる上司は問題外だが、「苦しいんだろ? けっこうキツイよなァ。わかるよ、俺はお前の気持ちが痛いほどわかる」と声をかけてくる上司も、実は共感力が低い。
さらに、「大変でしょ。その仕事、私が手伝ってあげようか?」と優しく声をかけてくる先輩も共感力は高くない。「わかってないな」という気持ちを抱かれる。
嬉しいのだけれど、「あ、いいです。これが私の仕事なので」とついつい言ってしまう。そういうふうに声をかけられると、素直になれないときって誰にでもあるのだ。しかし、そのような感情まで認知できる人は少ない。
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