「共感力がある人」と実はない人の決定的すぎる差 「共感アピール」をする人はとってもウザい
やたらと共感すると、相手の引き出しではなく、自分の引き出しを開けてしまう。こうなると”自分語り”がどうしても増える。相手が話しやすいようにと共感しているつもりだろうが、話す量が多くなりすぎる。その分、相手は話せなくなるのだ。
単純に相手の発言を認めるだけでいい
共感力は大事だが、イチイチ自分の感情まで表現しなくていい。アクノリッジメント(存在承認)だけでいいのだ。
「家族で北海道へ旅行した」
「家族で北海道へ旅行したんですね」
と、相手の発言を認めるだけでいい。たかがこれだけのことだが、多くの人はできないものだ。
「すごくよかったです」
「へえ、すごくよかったんですね」
これだけだ。これだけで承認したことになる。
共感には2種類ある。情動的共感と認知的共感である。相手の気持ちになるのが情動的共感だ。感覚や感情を自分も抱く。だから、家族で北海道へ旅行したことが羨ましいと思える人は、自分もそのような気持ちになる。
しかし、北海道へ独りで旅行したほうがいいと思っている人は共感できない。相手の気持ちになることができないからだ。つまり情動的共感に頼ると、自分と同じ感情を抱く人としか共感できなくなる。
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