村上は7人チーム「Crew144」のメンバーのひとりで、世界各国から集った氷河の研究者、医者、宇宙物理学者、雪氷の研究者、NASAのエンジニア、現役の米国陸軍隊員がチームのメンバーだった。そして36歳の村上は、第50次南極観測隊のメンバーとして南極に15カ月滞在した経験があり、エベレストのベースキャンプや富士山測候所での長期滞在経験も持つ極地の専門家で、現在は極地建築家・探検家として活動している。
各分野のプロフェッショナルが集うこのメンバーを見れば、MA365がお遊びではないことがわかるだろう。最終選考を終えた村上が「火星に行きたい」ではなく、「行かなくてはならない」と考えるようになったのは、なぜなのか。その答えを記す前に、南極を経て火星を目指すようになった村上の人生を振り返りたい。
人生を変えた1冊の建築雑誌
大学で建築を学んでいた村上の人生を変えたのは、1冊の古い建築雑誌だった。その雑誌には米国のアリゾナの砂漠に造られた研究施設「バイオスフィア2」の記事が掲載されていた。「バイオスフィア2」は、建物の中に世界中から集めた動植物を配置して地球の生態系を再現しており、「人類が宇宙に移住した時にヒントになる施設」(村上)として知られる。
ここで過去2回(2回目は途中で中断)、科学者が8名、完全に自給自足で2年間を過ごしており、村上が読んだのはプロジェクトリーダー、ジョン・アレンのインタビュー記事だった。
「これだ! と思いましたね。それまでずっと自分が何をしたいのかモヤモヤしていたんだけど、ジョン・アレンの言葉や彼が経験した世界が僕にはしっくりきたし、記事を読んだ時にすっきりしました。
僕は子どもの頃から人が使うモノ、道具を作りたいと思っていて、僕にとって人が使う道具のなかでいちばん大きなものが家なんです。しかも、誰もが必ず使うものですよね。それで建築学科に入ったのですが、雑誌に出ているようなオシャレな建築には引かれなかった。でも人が宇宙で暮らすという目的で家=道具を考えていけば、自分がやりたいことに近づけるんじゃないかなと思いました」
「バイオスフィア2」のような、人間としての全て、あらゆる能力が問われる場所に行ってみたい」という思いを抱いた当時20歳の村上は、「宇宙」を目的地に据えた。
それから宇宙と人をテーマに研究を始めるようになった村上は、あるとき、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が筑波宇宙センター・閉鎖環境適応訓練施設で行われる模擬宇宙閉鎖実験の被験者を募集していることを知った。「3人で1週間、閉鎖ボックスに入り、人間関係、個人のパフォーマンス、チームのパフォーマンスがどう変わっていくのかをモニターする」という内容だった。
選考は宇宙飛行士と同じプロセスを経て行われ、当時、東京大学大学院工学系研究科博士課程に在籍していた26歳の村上は、応募者約300人の中から被験者の3名のうちの1人に選ばれた。そして2004年、ほかの2人とともに閉鎖ボックスで1週間を過ごした。
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