南極が鍛えた「日本でいちばん火星に近い男」 元南極観測隊員、火星を目指す(上)

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村上は閉鎖空間での1週間で自分も驚くパフォーマンスを発揮した(撮影:今井康一)

村上は、社会から完全隔離された7日間のプログラムを「とことん精神的に追い詰められる内容」と振り返る。

「例えば、何万ピースもあるジグゾーパズルを3種類ぐらい混ぜたものを組み立てたり、テレビ画面上に1ケタの数字がひらすら映し出されて、その前後の数字の差を2時間テンキーで打ち続けたり、あとは、3人の関係を少し崩すようなテーマのディスカッションもありましたね。分刻みのスケジュールでこういう課題が1日中あって、全く同じ日程で1週間を過ごすんです」

この実験では課題を終えると結果が数字で示されるので、自分のパフォーマンスの良し悪しがひと目でわかる。それもまた、被験者のプレッシャーになる。想像するだけでウンザリしそうな生活だが、村上は新たな自分を発見し、手応えを感じたという。

「最初の時点では、すべてが初めてやることだから面白いなと思うんだけど、1日やってみると『これがあと7日も続くのか、耐えられないかもしれない』と不安になりました。次の日、特に引き算の課題は本当にしんどくて、予想通りガクンとパフォーマンスが落ちた。それで3日目、もうやりたくないと思うんですけど、いざやってみたら、こんなに早く終わるんだって感じたんです。そこからどんどん正答率、パフォーマンスが上がっていった。後半は疲労もあって伸び率は落ちたけど、3日目の結果は自分にとっても驚きだったし、適応力はあるんだなと思いましたね」

南極観測隊の年報との出会い

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南極にある昭和基地。1956年に出発した第1次南極地域観測隊から現在まで観測隊の歴史は続いている。(提供:村上祐資)

この実験の被験者に選ばれた時点で芽生えていた「自分は宇宙飛行士に向いてないわけじゃないし、頑張れば宇宙に行けるかもしれない」という小さな自信は、閉鎖ボックスでの1週間を終えてさらに少し大きくなっていた。

宇宙との距離が少し短くなったように感じた村上が、次に目指したのが南極だった。きっかけは、大学院の書棚だった。

書棚を眺めていたとき、ふと場違いな雰囲気の冊子が並んでいることに気づいた村上は、長い間誰かが手に取った様子すらないその冊子、南極観測隊の年報がなぜそこにあるのかを研究室の教授に尋ねた。すると、村上が籍を置いていた研究室が、『南極のタロとジロ』で有名な南極観測隊の第1次隊の基地の建設に携わっていたことが判明。その話を聞いた瞬間、村上は「南極との勝手な縁を感じて」、宇宙に行く前に南極に行こうと心に決めた。南極は、地上にある場所のなかで村上が目指す「人間としての全て、あらゆる能力が問われる場所」に最もふさわしい環境だからだ。

あまり知られていないが、南極観測隊は1956年に出発した第1次南極地域観測隊から、途絶えることなく毎年現地に送り込まれており、現在南極に滞在しているのは第56次隊。南極観測は国立極地研究所(極地研)の管轄で、観測隊に入るには極地研の厳しい審査に合格する必要がある。

審査では、現地で必要とされる技能だけでなく、マイナス50度にも達する酷寒の地で、なおかつ1日中太陽が沈まない白夜の時期、逆に全く太陽が姿を現さない極夜の時期など未知の環境でも耐え抜ける精神力が問われる。定員は28名ほどで、この狭き門を潜り抜けた者だけが南極の地を踏むことができるのだ。

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