元宝塚・瀬奈じゅん「特別養子縁組で気づいた事」 彼女が感じた「1つじゃない」家族と幸せのカタチ

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【元宝塚歌劇団 瀬奈じゅん】「血のつながりは重要じゃない」産めなかった私が特別養子縁組で気付いた“1つじゃない”家族と幸せのカタチ(写真:©MIKI HASEGAWA)
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2022年4月から、不妊治療が保険適用になった。妊活や不妊治療という言葉が世に浸透し、「産むための活動」に取り組みやすい環境は少しずつ整い始めている。

本記事はWoman type(運営:キャリアデザインセンター)からの提供記事です。元記事はこちら

しかし、誰もがその先の妊娠・出産へと進めるわけではないという課題は変わらない。

宝塚歌劇団の元トップスターで女優の瀬奈じゅんさんも、過去に不妊治療を経験した1人。

その過程で「産むこと」がゴールになっていることに違和感を抱き、「自分が望む幸せな家族とは何か」という問いに立ち返ったという。

結果、瀬奈さんがとったのは、特別養子縁組によって子どもを迎えるという選択だった。

「以前も今も、思い描いていた家族像は変わらない」と語る瀬奈さんに、その選択が彼女にもたらしたものを聞いた。

結婚してわが子を育てるのが「当たり前」だと思っていた

私が結婚したのは38歳のとき。実はそれまでまったく結婚願望がなく、大好きな舞台に立ち続けることが私にとって唯一の生きる術だと思っていました。

結婚後も、独身時代と同じような仕事第の働き方をすることを受け止めてくれる人なんていないと思っていたので、まさか自分が結婚するとは想像もしなかったのです。

その考えを変えたのが、夫との出会いでした。こんなに懐の深い人がいるのかと思い、すぐに「この人と結婚するんだろうな」と直感したんです。そう思えた自分にびっくりしたし、私の人生観を変えるほどの人に出会えたことは運命的だったとしか言いようがありません。

2人で過ごすうちに、ごく自然に子どもを持つことを考えるようになりました。子どもができても仕事は続けるつもりだったので、結婚を機に実家の近くに引っ越して。両親に協力してもらいながら、夫と一緒にわが子を育てていく。そんな未来を当たり前のように思い描いていました。

©MIKI HASEGAWA

問題は、子どもを持つタイミング。舞台への出演が2年先まで決まっていたので、子どもをつくるのは引き受けていた仕事をやり遂げてからにしたかったんです。

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