元宝塚・瀬奈じゅん「特別養子縁組で気づいた事」 彼女が感じた「1つじゃない」家族と幸せのカタチ

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妊活を始められるのは早くとも40歳になる直前。すでに高齢出産にあたる年齢です。また、30代の頃に卵巣嚢腫を患ったこともあって、医師からは「自然妊娠は難しいかもしれない」と告げられていました。

私の年齢を考えると、あまり時間はかけられない。夫とも相談した結果、体外受精に挑戦することにしたのです。

予定していた舞台以降は仕事を完全にお休みして、妊活に集中することに。2年半で計7回の体外受精にトライしました。

子どもを産みたいのか、夫と育てていきたいのか

しかし、望むような成果はなかなか出ませんでした。

私の場合は治療に使用するホルモン剤が体質に合わなかったこともあり、体力的にも精神的にも負担は増していくばかり。体のむくみがひどく、治療前に比べて体重は13kgも増加しました。

薬の影響による精神的な浮き沈みも激しくて、気分が落ち込み、誰にも会いたくないし、家からも出たくない。そんな日々が続きました。「かわいそう」と思われたくないという気持ちから、次第に親しい友人にさえ会う気になれなくなっていって。当時はさまざまな負の感情にさいなまれていました。

さらに、休業期間が長引くことへの不安と焦りもありました。

人の入れ替わりが激しい芸能の世界。私の代わりなんていくらでもいるし、このままでは戻る場所がなくなるかもしれない。それも覚悟のうえだったとはいえ、お休みが長引くにつれ、収入面での不安と相まって自分の居場所がどんどんなくなっていくような感覚に陥っていったのです。

そんな私に、「特別養子縁組」という選択肢を教えてくれたのは夫でした。

©MIKI HASEGAWA

夫は大の子ども好きで、保育資格であるチャイルドマインダーを取得していて、学ぶ過程でこの制度について詳しく知ったそうです。

最初に特別養子縁組の話題が出たのは、不妊治療を始めて半年ほどたった頃。当時は治療のことで頭がいっぱいだったので、「あなたとの子を授かるために頑張っているのに、何を言っているの?」と思ってしまって。私には、夫の提案を受け止める心の余裕がありませんでした。

それから半年ほどたった頃でしょうか。私は家に引きこもり、不妊治療の末にお子さんを授かった方たちのブログを読みあさっていました。そんなとき、ふと「私は子どもが欲しいんだろうか、それとも子どもを育てたいんだろうか」という問いが頭に浮かんだのです。

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