明るい性格の河原崎さんは、最初は貧乏生活を楽しんでいた。
「こういう貧乏なときはパンの耳を食べなきゃ!!」
と思い、洗車場のアルバイトの帰り商店街のパン屋さんにパンの耳をもらって食べた。
最初は
「青春だー!!」
と貧乏を楽しんでいた。
だが、1年経っても、1年半経っても、まったく状況は良くなっていかなかった。
「自分が何をしているのか、だんだんわけがわからなくなってきました。それでカッコ悪いけど、名古屋に帰ろうって思いました。東京に負けました」
東京に行くときには友達連中に、
『俺は絶対に天下取ってくるよ!!』
みたいに見栄をはった。その態度を苦々しく思っている人もいた。
「名古屋帰ってきても、遊んでくれる友達もいなくて。
『あのときはごめん!! 名古屋に戻ってきたから、また遊んでくれない?』
と1人ひとり謝りました。
『あのときの態度は本当にムカついたけど、まあ別にいいよ』
って許してくれて、今も仲良くしてくれています」
企業へ就職する、消防士などの公務員になる、などの方向も考えたが、まだ音楽に対する未練も残っていた。
「それで、ここ(お兄さんの焼肉屋)でバイトしながら、バンドを組みました。そのときすでに25歳で、バンドを始める年齢としてはかなり遅いですね」
中央卸売市場で働くことに
2007年、焼肉屋が改装することになった。
焼肉屋のバイトができなくなった河原崎さんは、名古屋市中央卸売市場で働くことにした。水産物、生鮮食料品、青果などを扱う、かなり大きな市場だ。さまざまな人、会社が集まって働く、独特な雰囲気のある空間だ。
河原崎さんが働いていると、50代の男性に
「お前、昼間何やってんだ?」
と声をかけられた。
河原崎さんの髪の毛の長い風貌が目についたのかもしれない。
河原崎さんはニコニコ笑いながら、
「バンドをやってます」
と答えた。初日の会話はそれだけだったのだが、働くうちに何度も顔を合わせるようになった。男性は、
「今度、お前のライブ見に行くわ」
と言った。
「もちろん本気だとは思ってなかったんですよ。でも本当に来てくれることになって。
『見に行くけど、本物じゃなかったら帰るからな!!』
って言われました」
「じゃあ勝負ですね!!」
と河原崎さんは答えた。
小さなライブハウスでの演奏を終え、物販会場に顔を出すと、男性はCD販売の列のいちばん前で待っていてくれた。
「俺がいつか会場をいっぱいにしてやるから待っとけ!!」
と励ましの言葉を残して帰っていった。
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