42歳、河原崎辰也が曲折経てつかんだ最高の天職 名古屋でミュージシャンとパーソナリティを両立

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河原崎さんは、大学野球で全然結果を残せていない自分を慰めるように、自室でギターを弾き、歌を歌った。長渕剛、浜田省吾といった、男らしい歌を好んで歌っていた。

「大学の下宿なんて壁薄いんで、当然歌ってたら周りに筒抜けなわけです。そのうち野球部の先輩たちが、

『なあ、お前ギター弾けんの?』

って声をかけてくれました」

河原崎さんは、飲み会の賑やかしや、リーグ戦の祝勝会などに呼ばれギターを弾いた。

野球部には約150人が在籍していて、活躍しない生徒は顔も覚えられず去っていく、厳しい世界だった。

しかし、河原崎さんはギターを弾くヤツとして先輩たちに覚えられていった。

「細川亨には野球では全然かなわないけど、歌では俺のほうがいいんじゃないか? どこか勝ってるところがあるんじゃないか? って歌いながら自分を励ましていました」

いつしか野球よりも、ギターに夢中になっていた。野球部に席は置きつつ、夜になると青森市の繁華街・本町に出かけては路上で歌った。

「街中で歌ってると、アルバイトするよりもはるかに儲かりました。1晩で5万円も稼いだこともありました。

でも怖いこともたくさんあって、ギターケースを蹴っ飛ばされたり、『金が欲しいのか!!』って怒鳴られて、小銭を投げつけられたり。あからさまにその筋の人に、因縁をつけられたこともありました。でもそんな出来事も『青春してるな!!』って、自分に酔って楽しんでました」

母の勧めで芸能養成所へ

大学4年生になった河原崎さんだが、就職活動などはしていなかった。

弾き語りの路上ライブを経て、芸能の道に行きたいという思いがふつふつと湧いてきていた。

「そんなとき母から

『芸能界に行きたいんだったら、こういうの一度受けてみたら?』

と、当時新聞に載っていた養成所のオーディションを勧められました。あまり興味はなかったのですが、他にツテがあったわけではないので試しに受けてみました。すると1曲歌っただけで社長さんに『合格です』と言われました。『お金いらないから、うちに来なさい』って言ってくださったので、それならばと通うことにしました」

河原崎辰也さんにお借りしたアーティスト写真

大学を卒業すると、東京の養成所でレッスンを受けながらアルバイトに明け暮れる日々が続いた。

「養成所には受かったんですが、肝心の芸能事務所が決まりませんでした。オーディションはことごとく落ちたし、たまに声をかけてくれる事務所はあっても、養成所の社長が

『あの事務所はあまり良くない』

とダメを出しました」

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