42歳、河原崎辰也が曲折経てつかんだ最高の天職 名古屋でミュージシャンとパーソナリティを両立

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2015年、河原崎さんは、高校時代にはじめて路上ライブをした、金山駅から東京駅までのJR東海道本線86駅全てでストリートライブをしていく『天下夢双!』という企画を立てた。

妻と二人三脚で、東京を目指す。

そして最後の東京では武道館でライブがしたい、という目標を持ってトライした。

「2015年にスタートして、2年半で東京駅にたどり着きました。結局武道館でライブをするほどの盛り上がりはなく、最終的に東京駅にある東京シティアイというイベントスペースでライブをさせてもらいました。無事東京にたどり着いたのは成功ですが、でも武道館でライブができなかったのは失敗です。

見守ってくれた人にはありがとう、そしてごめんなさいという気持ちでした。

(河原崎さんにお借りしたライブ写真)

ライブを続けるうちにいろいろ考えました。

『ビッグになるってなんだろう?』

『本当にやりたいことはなんだろう?』

それまでは歌でもラジオでも、『夢を信じろ』とかでかいことを伝えようとしてきたんですけど、旅を続けるうちに半径数メートルの人たち、隣にいてくれる人を喜ばせる歌を歌わないといけなんじゃないか? と思うようになりました。

自然体で仕事ができるように

その頃すでに、30代も後半でした。

「はっきり言って、何かをするには手遅れな年齢なんですけど、でも手遅れでも歌手として、ラジオ・パーソナリティとして伝えられることはあるよなと思いました」

それから子供が生まれ、そしてコロナの時代になった。河原崎さんの中でも心境の変化があった。

「コロナでライブがやりにくくなってしまったのは、とても痛かったですね。コロナが明けたら、ノーマスクのライブをぜひやってみんなと一緒に歌いたいです!! 

ラジオでは等身大で自分の好きなものを伝えていきたいと思ってます。古着やビンテージの革ジャンとか好きだし、都市伝説やUFOといったサブカルチャーの話題も好きです。それらの話ってラジオと親和性が高いんですよね。気持ちよく笑ってもらって明日も頑張ろうって元気をチャージしてもらえればと思っています。

(写真:筆者撮影)

昔は肩書『シンガー・ソングライター』じゃないと認めない、って感じだったんですけど、最近は『ラジオ・パーソナリティ』って呼ばれても素直に受け取れるようになりました」

河原崎さんは、このごろ自分の呼吸で仕事ができるようになってきたという。自然体で仕事ができるようになって、ますますファンも増えている。

名古屋を中心に活躍するミュージシャン、ラジオ・パーソナリティという一見渋いポジションを生かし、今後も地域密着型の優しい兄貴的な存在でいてほしいと思った。

村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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むらた らむ / Ramu Murata

1972年生まれ。キャリアは20年超。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海などへの潜入取材を得意としている。著書に『ホームレス大博覧会』(鹿砦社)、『ホームレス大図鑑』(竹書房)など。

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