「本当に当時はお金がなくて、食事も出てませんでした。今は私、78キロぐらいあるのですが、当時は175センチの身長に対して50キロもなくて、一番少ない時は45キロになったことも。ずっと貧血でふらふらでした。飲食店でバイトしていたのも、まかないが出るからです」
火野さんは平成生まれの30代である。戦後すぐの話ではない。
さて、合格した大学に入学できないかもしれないという、絶望的な状況に陥った火野さんだったが、ここで救いの手を差し伸べてくれる人が2人現れた。当時から交際していた妻と、その母親(義母)だ。
「今の妻とは、高校生の当時から付き合っていて、よく妻の実家でご飯を食べさせてもらっていたんです。そして、入学金を僕の両親が使い込んだときも、妻のお義母さんが一時的に50万円近く貸してくれたんですよ……。
それで、なんとか入学金を払って、その後、奨学金の予約採用でお金が入ってきたので、それでお義母さんには返しました」
こうして無事に大学に入学できた火野さん。子どもの微々たる稼ぎを頼りにするような両親が生活費などをサポートしてくれるはずもないので、奨学金を借りることに。
毎月、第一種(無利子)を6万4000円、第二種(有利子)を12万円。ともに機関保証で一部引かれるため、実際に振り込まれる金額はそれよりは少なく、18万円ちょっとだ。
年間の学費が100万円であることを考えると、やや借りすぎに思う人もいるかもしれない。しかし、結果的にこれが火野さんの人生を変えた。
「法学部を目指したのは『弁護士などの堅い仕事に就けそうだから』という理由からでした。自分が入学した頃は、司法制度改革で司法試験の合格率がかなり上がっていた時代だったんです。
それで、当初は弁護士を目指していたのですが、受験でMARCHに落ちた時点で『自分には無理かな』『だったら、公務員かな』と思うようになったんですね。
でも、毎月18万円の奨学金を借り続けると、4年間で最終的に1000万円近く借りることになる。その重みを感じるうちに『しっかりしているうえで、稼げる職業に就こう』と思うようになりました。
そして、1年生の時から法律の勉強を始めて、行政書士の資格の試験を受けたら合格したので、そこから本腰を入れて司法試験を目指すようになりました」
バイトせず、司法試験勉強に専念
自らを鼓舞する意味合いもあり、背水の陣で挑みたい火野さんは、ここで大きな決断をした。
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