瀬戸内寂聴さんが「褒める」を大事にしていた理由 「愛する能力=褒める能力、それが教育者の能力」

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瀬戸内寂聴さんが遺した言葉をお届けします(写真は2014年2月、撮影:尾形文繁)
昨年11月に逝去された作家の瀬戸内寂聴さん。1987年から2017年まで寂聴さんが編集長を務めた『寂庵だより』から、寂聴さんの随想を収録した書籍がシリーズで発売されました。寂聴さんの飾らない素顔が詰まった第二弾『今日を楽しく生きる 「寂庵だより」2007-1998年より』から、秘書の瀬尾まなほさんの解説も交え、一部抜粋してお届けします(漢数字などは原文の通りにしています)。
前回:晩年の瀬戸内寂聴さんが「出家」に感謝した瞬間(5月3日配信)
前々回:瀬戸内寂聴さんが晩年感じた「生きすぎたケジメ」(3月31日配信)
<『今日を楽しく生きる』に収録された 1998~2007年に書かれた先生の随想は私がまだ先生に出会う前である。先生は70歳後半から80代前半でまだバリバリに仕事をしていた。先生の日常や、社会問題、交流のあった作家とのエピソード、そして自分の生い立ちなど、私がまだ知らなかったことも多い。(中略)
変わりゆく時代を、先生の随想から感じることができる。ただ一つ変わらないも の、それは先生の思想である。いつどんな時でも、先生は作家として書き続けるのをやめなかったし、命の尊さを伝え続けてきたのだ。先生がどこにも遠慮せずに想いを書き綴った想いがここにある。 (解説「変わりゆく時代に、変わらない先生の強い想い」瀬尾まなほ)>

「沙羅の花」

寂庵が建った時、予想以上に大きすぎて、私は恥ずかしくて泣いてしまった。それまで家など建てたことがなかったので、製図を見ても模型を見せられても、よく理解出来なかったのだ。初めて現物を見た時、あまりの偉容に腰を抜かしそうになった。堀文子さんの紹介して下さった東京の偉い建築家は、こんなつもりではなかったと泣く私に向かって、おだやかな口調で言った。

「あなたが、家を建ててくれと、事務所に来られた時、あなたは有髪で、和服の女流作家でした。老後静かに仕事の出来る家が欲しいとだけおっしゃった。ところが私はその時、華やかなあなたの姿の上に、墨染の尼僧のあなたが重なって見えてくるのです。ああ、出家するのだなと思い、初めからお寺のつもりで設計したのです」

温厚な方で、無理解な施主の、無知な抗議に対しても、やさしく対応して下さる。

「今に、この建物が狭くなって、あなたはきっと増築なさるでしょう」

とにかく庵は建ってしまったのだ。私は五十歳になっていた。二十五歳の真冬、文字通り着のみ着のままで、一銭も持たず、家出して以来、私はペン一本にすがって生きてきた。この土地と建築費のため、すっからかんになり、莫大な借金を銀行にかかえこんでいる。何より、目下の急務は、もう建ってしまったこの庵(というより工場のように私には見えた)を、人の目からどうやって隠すかである。

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