瀬戸内寂聴さんが「褒める」を大事にしていた理由 「愛する能力=褒める能力、それが教育者の能力」
「沙羅の花」
寂庵が建った時、予想以上に大きすぎて、私は恥ずかしくて泣いてしまった。それまで家など建てたことがなかったので、製図を見ても模型を見せられても、よく理解出来なかったのだ。初めて現物を見た時、あまりの偉容に腰を抜かしそうになった。堀文子さんの紹介して下さった東京の偉い建築家は、こんなつもりではなかったと泣く私に向かって、おだやかな口調で言った。
「あなたが、家を建ててくれと、事務所に来られた時、あなたは有髪で、和服の女流作家でした。老後静かに仕事の出来る家が欲しいとだけおっしゃった。ところが私はその時、華やかなあなたの姿の上に、墨染の尼僧のあなたが重なって見えてくるのです。ああ、出家するのだなと思い、初めからお寺のつもりで設計したのです」
温厚な方で、無理解な施主の、無知な抗議に対しても、やさしく対応して下さる。
「今に、この建物が狭くなって、あなたはきっと増築なさるでしょう」
とにかく庵は建ってしまったのだ。私は五十歳になっていた。二十五歳の真冬、文字通り着のみ着のままで、一銭も持たず、家出して以来、私はペン一本にすがって生きてきた。この土地と建築費のため、すっからかんになり、莫大な借金を銀行にかかえこんでいる。何より、目下の急務は、もう建ってしまったこの庵(というより工場のように私には見えた)を、人の目からどうやって隠すかである。