瀬戸内寂聴さんが晩年感じた「生きすぎたケジメ」 2016年に94歳で書いた随想「老いの果て」とともに

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瀬戸内寂聴さんの言葉は多くの人に影響を与えました(写真は2014年2月、撮影:尾形文繁)
昨年11月に逝去された作家の瀬戸内寂聴さん。寂聴さんが編集長を務めた『寂庵だより』から、2008年から2017年までの晩年の随想、10年分を収録した随想集が発売されました。
寂聴さんの飾らない素顔が詰まった『遺す言葉 「寂庵だより」2017-2008年より』から、徳島県立文学書道館・竹内紀子さんの解説も交え、一部抜粋してお届けします。

1987年創刊で、2017年の366号が最終号に

一九八七年二月、瀬戸内寂聴さんが編集長となって、『寂庵だより』が創刊されました。出家して十三年が経ち、あと三ヶ月で岩手県の天大寺住職に就任するという頃でした。
自分の道のりを記録すると同時に、多くの人々に呼びかける場を作りたいと思ったのではないでしょうか。それが『寂庵だより』となりました。
読者が楽しみにしていた『寂庵だより』は、寂聴さんの相次ぐ病気や入院により、二〇一七年の三百六十六号が最終号となりました。超人的な仕事のかたわら、長きにわたり個人の新聞が出せたというのも驚異的なことです。それだけ、この『だより』に愛着をもっていたということでしょう。(解説「飾らない素顔のままの『寂庵だより』」徳島県立文学書道館 竹内紀子)
老いの果て

まさか九十四歳まで生きるとは夢にも思わなかった。母は五十歳で防空壕で焼死しているし、父もそれを気に病んでいたのだろう、五十六歳で脳溢血とガンで死んでいる。姉もガンで六十六歳で死んでいる。これが私の家族であった。

私も生まれた時、取りあげた産婆が、「このお子は可哀そうに一年とはもたないだろう」とつぶやいたそうだ。母がそれを聞き、弱い私を哀れがり、どうせすぐ死ぬ子だからと、徹底的に甘えさせ、わがままのすべてを聞きいれたそうだ。

あれもきらい、これもいやと、私はひどい偏食になり、豆ばかり食べていたという。その名残か、今でも豆類はすべて好きである。おかげで、学校へ上がっても成績はいつでも良くて、通信簿は全甲だったが、別の頁の栄養というところに、「丙」と書かれていた。母は先生に呼ばれ、何度も注意されたようだが、一向に改めようとはしなかった。

生きてるだけでも有難い、頭がいいのは豆が好きだからだ。豆は頭にいいと年寄りが言っている、とすましたものであった。

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