瀬戸内寂聴さんが晩年感じた「生きすぎたケジメ」 2016年に94歳で書いた随想「老いの果て」とともに

1987年創刊で、2017年の366号が最終号に
まさか九十四歳まで生きるとは夢にも思わなかった。母は五十歳で防空壕で焼死しているし、父もそれを気に病んでいたのだろう、五十六歳で脳溢血とガンで死んでいる。姉もガンで六十六歳で死んでいる。これが私の家族であった。
私も生まれた時、取りあげた産婆が、「このお子は可哀そうに一年とはもたないだろう」とつぶやいたそうだ。母がそれを聞き、弱い私を哀れがり、どうせすぐ死ぬ子だからと、徹底的に甘えさせ、わがままのすべてを聞きいれたそうだ。
あれもきらい、これもいやと、私はひどい偏食になり、豆ばかり食べていたという。その名残か、今でも豆類はすべて好きである。おかげで、学校へ上がっても成績はいつでも良くて、通信簿は全甲だったが、別の頁の栄養というところに、「丙」と書かれていた。母は先生に呼ばれ、何度も注意されたようだが、一向に改めようとはしなかった。
生きてるだけでも有難い、頭がいいのは豆が好きだからだ。豆は頭にいいと年寄りが言っている、とすましたものであった。