瀬戸内寂聴さんが「褒める」を大事にしていた理由 「愛する能力=褒める能力、それが教育者の能力」

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近所の庭師に頼んで、安くて早く大きくなる木を家の周りに至急植えてくれと注文した。楢や杉や竹が安いというので、それを塀のように庵のまわりに植えさせた。雑木林にしようというつもり。

その時、私は菩提樹と沙羅だけは、特注したのである。

出家してすぐ、御挨拶に上がった比叡山ではじめて浄土院に案内された。教祖伝教大師の御廟所である。その清浄さにいたく感動した私は、廟所の屋根を越して青空に伸びていた二本の菩提樹と沙羅双樹の偉容に、これまたすっかり心奪われたのであった。天台宗の尼僧として得度を許された記念に、この二本を是非わが庵にも植えたいと切に思っていた。

ところが庭師の運んできた菩提樹も沙羅も私の背丈より小さく貧相で、私の夢に描いたものとは全く似ていない。私が文句をいうと、庭師はからからと笑って、

「浄土院のあの樹は何百年も前からあそこに植わってまっせ、それに安いものを御注文やったから」

という。私に返す言葉もない。

あれから三十三年過ぎた今、私は庵の後ろにたしかに仕事部屋と書庫を増築している。そして寂庵は、嵯峨野の地図にお寺として載っている。

菩提樹はぐんぐんのび、屋根をはるかに越し、毎年おびただしい実を落す。沙羅は私の背より小さかったのが育って、可憐な花をつけたが、ひどい暑さの夏、枯らしてしまい、今は二代目が、前よりずっと幹も大きく、枝も張り、花をびっしりつけている。丁度今、花盛りで、朝咲いた花が夕暮には青苔の上に散りしいて美しい。それを見たがって訪れる人もいる。庵を建ててくれた人は浄土から、現寂庵を見下ろし、笑っていられるだろう。(二〇〇六年六月 第二百三十三号)

「褒める能力」

ふり返ってみれば、大方五十年ばかり、ペン一本に頼って生きてきた。この道一筋という言葉があるが、半世紀を越す歳月の間、ただの一度も、物書き以外の仕事で糧を得ようと考えたことはなかった。

好きな道なので、辛いと思って泣いたこともなかった。

全くの素人から、職業作家となる過程や、どうにか物書きの看板をかかげて通用するようになってからも、数えきれない人々から有形無形の教えや指導をいただいてきたと思う。

思いがけないほど褒められたこともあれば、心外なほどけなされたこともある。忠告といって、下手なところを忌憚なく酷評されたことも、どうしても承服し難い誤解した批評を浴びせられたこともあった。

それでも根が楽天的なので、悔しさは長く持続出来ず、褒められたことだけを思い出し反芻して、いい気分になったから、半世紀以上も書きつづけてこられたのだと思う。

次ページ自分の才能をひき出し伸ばしてくれた他者の褒め言葉
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