「神道」が1300年も生きのびてきた本当の理由 世界でも珍しい「古代以前の神々」と「神仏習合」

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しかし、さらにそれ以前はどうか。たとえば、宗像大社、大神神社、出雲大社、諏訪大社などの神祇信仰には古代国家以前の信仰の面影がうかがえる。社殿のない聖地や訪れる神の面影が後代にも残ってきた。沖縄やアイヌの信仰とも、縄文時代の信仰にも通じるのではないかと考えられている。

こんな古代国家や文字文明以前の信仰が、神祇信仰を通して古代、中世、近世、近代と生きのびて、現代にまで大きな力を及ぼしてきている。古代国家以前からの神々がこのように生きのびてきたのは、世界のなかでもあまり例がないことだ。自然のなかの霊や霊的な力、また死者の霊を身近に感じる日本の文化はアニミズム的とよばれることもある。アニミズム的な文化と、古代以前の神々が生きのびてきたことには深い関わりがある。

神仏習合と朝廷・国家祭祀

では、どのようにして神々は生きのびてきたのか。仏教の力を借りて、神仏習合の形をとることによってという要因を考えなくてはならない。神仏習合は神祗信仰の歴史の一部だし、神道の歴史の一部でもある。

だが、神道が長い歴史を生きのびてきたもう1つの大きな要因がある。それは古代において、国家と朝廷の祭祀が組織化されたということだ。この組織化の画期と言えるのは、7世紀の末、天武・持統朝であり、中国にならって律令制度が組み立てられたときだ。

太政官と並んで神祇官が設けられ、朝廷の稲作儀礼の祭祀を軸に全国の神祇への班幣(幣帛の班給)の制度が作られ、天照大神の下での天皇による国家統治を説く記紀が編纂され、皇室の祖先神を祀る伊勢神宮の祭祀と国家の連携が堅固なものとなった。古代国家が神道儀礼と神道の神話を備えたシステムを作ったのだ。

この古代の律令国家の神道システムは、「天」を祀る中国の国家体制にならったが、遠い「天」よりも「土」の匂いがする神々をも祀ったのは日本風だ。ただし、当時は朝廷や国家の儀礼が多くの人々の生活に影響を与えるようなものではなかった。だが、祭祀システムと神話的な伝承が王権を支え、政治体制の背後で神聖な国家秩序の基礎にあるという意識は続いてきた。

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