「神道」が1300年も生きのびてきた本当の理由 世界でも珍しい「古代以前の神々」と「神仏習合」

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このように考えると、7世紀末以来、神道には国家祭祀と神仏習合の信仰という2本の大きな柱があって、双方はしばしばまるで別個のもののように展開し、対立することもあったが、実は影響し合い、支え合うような関係にもあったと捉えることができる。

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興味深いことは、すでに記紀神話にこの2本立ての体制が自ら描き出されていることだ。王権の神的起源を描くことに主眼がある記紀神話だが、それにしては出雲神話に多くのスペースがさかれている。アマテラスよりも、スサノオやオオクニヌシのほうが活躍し、心に焼き付くキャラクターなのだ。つまり、記紀神話は天津神よりも国津神のほうに親しみがもてるように描かれており、その両者がともに主役というような構成になっている。

実際、古代律令体制の下の国家的な神道祭祀は、ややさえない出発だった。幣帛を全国の神祇に班給する制度は長続きしなかった。記紀神話が人々の生活に影響を及ぼすような事態も少なかった。だが、後代にいくつかの大きな転機を経て、記紀神話や朝廷や国家の神道祭祀は強化され、影響力を強めていく。

儒学者らが育てた国体論

本地垂迹説や中世神話とよばれるような記紀解釈の新たな展開があり、やがて国家の枠の外での神道独自の組織や思想の展開があり、15世紀には吉田神道のような政治力をもった組織も形成される。他方、中国の儒学思想の影響を受けながら、日本の国家秩序の神聖性について理論化する試みも起こる。14世紀の北畠親房はその早い例だが、江戸時代には儒家神道や水戸学を尊ぶ歴史研究が進み、やがて神権的国体論が形成されていく。

織豊政権から江戸時代の初期に至る時期、そして明治維新と、2つの大きな転機を経て、国家祭祀と国家中枢の神聖性は強化されていった。神道はじわじわと力を付けていき、近代の国家神道や神権的国体論に至る。ついには小学校に教育勅語や天皇の肖像を収めた奉安殿ができ、子どもたちが毎日、礼拝するまでに至ったのだ。水戸学のような儒学思想の影響が大きかったが、万世一系の天皇統治を裏付ける「天壌無窮の神勅」は記紀神話に由来するものだ。

日本の宗教文化の特徴を語るには、国家神道とアニミズムに触れざるをえない。そして、そのどちらも、神道の歴史を振り返り、仏教や儒教にも言及しないとなかなか説明しにくいのだ。しかし、神道史の大きな流れを捉えるとぐっと視界が開け、説明しやすくなるだろう。

島薗 進 宗教学者、東京大学名誉教授

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しまぞの すすむ / Susumu Shimazono

日本宗教学会元会長。1948年、東京都生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。主な研究領域は、近代日本宗教史、宗教理論、死生学。著書に『宗教学の名著30』『新宗教を問う』(以上、ちくま新書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)、『神聖天皇のゆくえ』(筑摩書房)、『戦後日本と国家神道』(岩波書店)などがある。近著に『教養としての神道 生きのびる神々』(東洋経済新報社)

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