「神道」が1300年も生きのびてきた本当の理由 世界でも珍しい「古代以前の神々」と「神仏習合」

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このように「神道とは何か」について意見が多様になる大きな理由の1つは、明治維新後に神道がどう変わったかが、わかりにくくなっていることにある。神仏分離が起こったために、それまでの神祗信仰のあり方がわかりにくくなってしまっていることが大きい。神仏習合によってこそ、神々は生きのびてきたという一面がある。

祇園祭で知られる八坂神社は、かつて祇園感神院とよばれていた。「祇園」はお釈迦様が説法をした祇園精舎から来ている。人々は仏教の守護神、牛頭(ごず)天王のご利益を求めて参詣していた。スサノオノミコトが祭神というのはまったく新しいわけではないが、牛が頭に乗った牛頭天王の像が親しみ深かった時代が長かった。

天竜川上流の秋葉神社は火伏せ(火災防止)の神として知られる三尺坊大権現を祀る施設として参拝者を集めていた。三尺坊というのは平安時代初期に実在したとされる密教的な行者だという。神仏分離後、秋葉神社には三尺坊大権現はいなくなり、迦具土神を祀っている。記紀神話に記載されているが、民間にはあまり知られていなかった神を祭神としたのは明治維新後のことだ。

この例のように山岳信仰は神道の歴史で大きな役割を果たしてきた。その山岳信仰は神仏習合の修験道が導き手だった。明治維新後の神仏分離で、これらの礼拝施設から仏教色が排除された。儒学を学んだ武士が江戸時代にいくつかの藩で行ったことを維新政府が旗を振って強引に推し進めたのだ。

神仏習合で生きのびた神々

では、八坂神社や秋葉神社の神道信仰の歴史は、明治維新後に始まるのだろうか。もちろんそんなことはない。八幡信仰、稲荷信仰、山岳信仰などの歴史は奈良時代、あるいはそれ以前までさかのぼる。神道の歴史を語るとき、奈良時代の神仏習合の傾向が強い八幡信仰や稲荷信仰を語らないわけにいかないだろう。その頃からすでに神仏習合が始まっており、それによってこそ、八幡や稲荷は、霊威ある神祇として崇敬を集めてきた。今でも稲荷神(ダキニ天)を祀って参詣者が多い豊川稲荷妙厳寺のようなお寺もある。

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