そう気づいたらですね、レシピ本、あるいはネットとか雑誌とかに載っている絶品レシピとか無限ナントカ等、すべてにまったく興味がなくなった。そもそもよく考えたらさ、絶品レシピの味って、結局「調味料の味」なんだよね。
それに対して、私は素材の味を食べているのである。調理法が2つであっても、素材が違えばできあがったものの味は千差万別。キュウリの味噌汁とじゃがいもの味噌汁とでは月とスッポンの差である。
つまりはですね、自分で小賢しい調味料の組み合わせなどせずとも、すべては「あるもの」(つまりは余った食材)があんじょうやってくれるのである。「ないもの」を探して買ってこなくても、「あるもの」がなんだかんだと丸く収めてくれるのである。
レシピ本をなくして得られたもの
その事実は、私の精神も大いに癒してくれた。実は、自分には足りないものなどないのかもしれない。才能もお金も人間関係も、きっと今「あるもの」で十分なのだ。その「あるもの」をよく見ること、大切にすること、とことん使い切ること、それさえできれば、もう人生は十二分に安泰じゃないのか。
っていうか「ないもの」ばっかりに目を奪われていると、「あるもの」を大切にしなくなる。だからわれらはいつまでも、ないものを買いまくり、お金が足りないと惨めに思い、人を羨み、人生に不安を募らせてしまうんじゃないのかね?
ってことで、レシピ本から思わぬ壮大な話になってしまった。でもこれは私の偽らざる本音である。私はレシピ本と縁を切ったことで、ゴミをなくし、生涯の安心を得たのである。
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